終われない男の対談集BACK NUMBER
46歳でも進化するカミカゼ葛西紀明。
鏑木毅も驚いた100%の「落ちろ!」。
text by
礒村真介Isomura Shinsuke
photograph byShin Hamada
posted2018/11/06 08:00
対談後、ランナーも多い皇居周辺で鏑木と葛西はなおもアスリート談義を続けた。
「落ちろ!」「転べ!」という嫉妬の形。
葛西 1998年の長野五輪、日本は団体で金メダルをとりました。岡部(孝信)さん、齋藤(浩哉)さん、原田(雅彦)さん、船木(和喜)。日本中が歓喜していましたよね。でも、僕はまったく喜べなかった。他の日本選手よりも僕の方が数段、体力やフィジカルが上だったし、それは他のメンバーも感じていたと思います。だけど、4年に一度のあのタイミングでは、団体に選ばれた他の4人の方が調子がよかったんです。
鏑木 だからこそ悔しかったんですね。
葛西 自分の人生で一回だけであろう自国開催の五輪で、前の年にはお母さんが亡くなっていて、妹も病気で、絶対に金メダルを取りたいという思いが強かった。それなのに自分以外の日本人選手が金メダルを獲った、というのが悔しかったんですよね。外国人選手だったら諦めがついていたかもしれません。でも、その悔しさがなかったら、ここまで飛び続けていなかったのかもしれません。
鏑木 僕は早稲田大学で箱根駅伝を目指していたのですが、坐骨神経痛の影響でメンバーに選ばれず、途中で退部しています。僕らが4年生のときに同期の連中が何十年ぶりかの総合優勝を成し遂げるんですけど、「頑張れ!」という思いと、「活躍されるのは嫌だな」という思いが半々でぐるぐるしていました。すごく自己嫌悪に陥りましたけど。だから、何かの記事で読んだ、長野の団体のときに「落ちろ!」と思ったという葛西さんの気持ちはよく分かります。
葛西 やっぱりそういうのあるんですね。僕は半々どころじゃないですよ、100%の気持ちで「落ちろ、転べ!」って(笑)。
鏑木 ハハハ。アスリートって、たとえそう思っていても隠す人が多いけれど、葛西さんはストレートですよね。素敵だなぁ。
葛西 長野に出場できなかった原因はその前のシーズンの怪我でした。実は練習の合間にバレーボールをやっていてケガをしてしまって。何でも勝ちたくなって本気でやっちゃうんですよね(苦笑)。さすがに今はそんな無理はしませんが。
鏑木 でも、その長野五輪の経験があるから今の自分がある、と。今となっては、あれはあれでよかったと思いますか?
葛西 はい、ちょこっと思いますね。だから2022年の北京ももちろん目指します。まだ4年もあるので、いろいろなチャレンジをする余裕が残されているのが、楽しみです。誰もが驚くような新しい飛び方を発明できるかもしれませんしね。
鏑木 力強い。北京五輪で、葛西さんの「完璧なタイミングのジャンプ」を期待しています。
鏑木毅(かぶらきつよし)
1968年生まれ。早稲田大学競走部で箱根駅伝を目指すもケガのために断念。28歳のときにトレイルランニングのレースに出場し、花開く。40歳のときにプロへと転向し、主に100km以上のウルトラトレイルの国際レースで活躍。とくに世界最高峰のレース「UTMB」では4度も表彰台に登る。現在は2019年の夏に50歳で再びUTMBへと挑戦する「NEVERプロジェクト」に取り組んでいる。
葛西紀明(かさいのりあき)
1972年生まれ。北海道出身。16歳のころから国際大会の舞台で活躍し、五輪出場8回を誇る。2014年のソチ五輪ではラージヒル個人銀メダル。同ラージヒル団体銅メダル、1994年リレハンメル五輪ラージヒル団体銀メダル。他にも数多くの最多記録、最年長記録を持つ。現在は土屋ホームに選手兼監督として所属。