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作家・中村航のセコンド体験記。
ボクシングは僕らの隣にあった。
text by
中村航Kou Nakamura
photograph bySports Graphic Number
posted2018/10/21 09:00
田宮真拓選手のセコンドについた中村航さん(左)。表情からも緊張感が伝わってくる。
ゆえあってセコンドとしてリングに。
もともと単なるボクシングが好きな小説家で、それは今でもそうなのだけれど、ここ数年、いろんな形でこの競技と関わらせてもらってきた。『怪物』(KADOKAWA刊)という、井上尚弥のノンフィクション本を、少し前に出した(良かったら読んでみてほしい)。そしてその少し前に、『無敵の二人』(文藝春秋刊)という小説を出した(良かったら読んでみてほしい)。
『無敵の二人』は、北海道のジムで女性トレーナーがチャンピオンを育てる物語だ。これは事実に基づいた小説で、協栄札幌赤坂ボクシングジムの赤坂裕美子さんが、女性トレーナーのモデルだ。小説を書いた縁で、赤坂さんとは今でも仲良くさせてもらっている。
で、北海道のジム生が東京で試合をするとき、選手やセコンドの旅費や宿泊費など、経費がかさんでしまう。東京に住む者がセコンドの手伝いをすれば、その分経費が削れる。そういう背景があって、赤坂さんと相談し、僕はセコンドのライセンスを取った。
もちろん選手に指示をしたりすることは、まだまだできない。リングの下でマウスピースを洗ったり、椅子を準備したり、時間を計ったり、そういう地味な仕事をするのだ。
と思っていたのだが、赤坂さんは今回、僕をチーフセコンドとして登録していたようだ。選手のセコンドは3人までで、その内チーフセコンドだけが、インターバルにリングに上がる。赤坂さんは面白い人なのだが、ジャイアンのようなところがある(詳しくは小説を読んでみてほしい)。
生まれて初めてリングに上がった瞬間。
選手である中学生の田宮真拓(ナタク)くんの手前、僕はビビるわけにもいかず、平気な顔をしていた。でも彼がゴングと共に飛びだしていったとき、1ラウンドで終わってくれ、などと内心思っていた。そうなればインターバルにリングに上がる必要はない。
だが、U15の闘いは短かかった。90秒のゴングとともに、ナタクはコーナーに戻ってくる。こんな日が来るとは思わなかった。
そのとき生まれて初めて、僕はリングに上がった。
マウスピースを外し、彼の口にペットボトルを傾けて、うがいをさせた。コーナーからは赤坂さんが、戦い方の指示をしている。もう一回、うがいをさせる。マウスピースを再び装着させる。
「落ち着いて」とだけ言って、僕はリングを降りた。緊張しているつもりはなかったのだが、頭がぼんやりとして、あまりうまくモノを考えられなかった。何かがおかしい、と自分でも気付いていた。
インターバルは1分だが、まだ30秒くらいしか経っていなかった。相手陣営ではまだチーフセコンドがリング上にいる。いくら何でもリングを降りるのが早すぎた。
すまんナタク、などと思っている間に、2ラウンド開始のゴングが鳴った。
ナタクは旋風のようにリング上を舞い、それから数十秒でTKO勝ちした。そして井上尚弥と同じく、U15の優秀選手賞を受賞した。
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