オリンピックへの道BACK NUMBER
相次ぐ協会問題と'00年の千葉すず。
勇気ある行動が競技に透明性を。
posted2018/09/08 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
相次ぐ競技団体をめぐる問題に、18年前のあるアスリートの姿を思い出す。
女子レスリング、ボクシング、そして体操……。この数カ月、スポーツ、特に競技団体のあり方をめぐる報道が続いた。
それらに共通するのは、組織を束ねる、あるいは責任を担う立場にある人物の権力が強大化していることと、そのもとで選手の尊厳が損なわれていることである。
スポーツの場合、競技を束ねる団体は1つに限られる。これは国際オリンピック委員会が、1競技につき1団体しか公認していないからだ。複数の団体間での競争があるわけではないし、団体のトップあるいはその周辺に位置すれば、競技そのもののトップに立つ。つまり競技全体に影響を及ぼす権力を持つことになる。
もちろん選手はその団体に所属していなければ、オリンピックを目指すことはできない。
閉ざされた構造とデメリット。
また、「外部からの視線が届かない」ことも指摘されている。
競技として常日頃から大きな注目を受けているわけではないので、厳しいチェックがない。組織内での出来事は“組織内の理屈”として処理されるため、はたから見れば理不尽なことがまかり通っていたりする。権力を握る者による私物化が始まっても、容易に問題としてクローズアップされてこなかった。
こうした閉ざされた構造と世界だからこそ、同調圧力も強い。選手、指導者をはじめとした関係者は不満を抱いていたり、問題があることが分かっていたりしても、たやすく口には出せないし、行動を起こすわけにもいかない。待っている不利益が容易に想像できるからだ。
何よりも恐れるのは、代表選考における報復だ。もしそこで透明性、公平性が保障され、強化の過程でも同様であれば、選手や指導者も納得感が出てくるはずだ。