酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
カープの「締めの男」は中崎翔太だ。
江夏、大野、津田、永川と続く系譜。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2018/08/29 11:30
捕手の會澤翼(左)とともにガッツポーズする中崎翔太。広島の名だたるクローザーの系譜の一因となりつつある。
宮本移籍後に江夏が守護神に。
セーブ制がNPBで導入されたのは、1974年のこと。
2年目の1975年といえば、広島涙の初優勝である。エース外木場義郎や山本浩二、衣笠祥雄らの活躍が注目されがちだが、クローザーは前年阪急からトレードで移ってきた宮本幸信だった。
当時の野球雑誌に子供と公園で遊んでいる写真が載ったが、眼鏡をかけて優し気な表情の宮本は銀行員のようだった。しかし、宮本は快速球が売りの本格派で気性も激しかった。
宮本が日本ハムに移籍した後に、南海から移ってきたのが江夏豊である。南海が野村克也の監督解任騒動で揺れる中、野村によってクローザーとして再生された江夏は、野村がいなくなったホークスに残るのを潔しとせず、移籍を要望。金銭トレードで広島に移ったのだ。
ハイライトは「江夏の21球」。
江夏の活躍で広島は1979、80年と連覇。そして1979年の近鉄との日本シリーズでは球史に残る「江夏の21球」のドラマを演じた。
大阪球場での第7戦、4-3で広島がリードした9回裏、江夏が無死満塁のピンチを迎えながら奇跡的な投球で切り抜けて、広島を日本一にしたというものだ。
自分でピンチを招いて抑えただけに「マッチポンプ」じゃないかともいわれているが、マウンド上での衣笠祥雄との交情といい、スクイズ外しの奇跡のウェストボールといい、感動的な物語がぎっしり詰まった21球のドラマだった。
当サイトの読者なら故・山際淳司さんが『Sports Graphic Number』創刊号に書いた同名のドキュメントをすぐに思い浮かべることだろう。まさにスポーツ文学の金字塔だった。
「優勝請負人」と言われた江夏豊が日本ハムに移籍したのちに、同じ左腕で、同じ「豊」で、江夏豊を師と仰ぐ大野豊がクローザーの任を引き継ぐ。大野は軟式出身の異色の経歴。先発で活躍していたが、後ろに回ることを承諾したのだ。
その後、小林誠二や川端順がクローザーになるが、この時期は先発の北別府学などにもセーブが付くなど、役割分担が明確ではなかった。