酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
カープの「締めの男」は中崎翔太だ。
江夏、大野、津田、永川と続く系譜。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2018/08/29 11:30
捕手の會澤翼(左)とともにガッツポーズする中崎翔太。広島の名だたるクローザーの系譜の一因となりつつある。
炎のクローザーこと津田恒実。
そういう意味では江夏の次に現れた純然たるクローザーは、津田恒実だといっていいだろう。南陽工-協和醗酵から1981年にドラフト1位で広島に入団した津田は、当初は先発だったが、1986年にクローザーに転向し、22セーブを挙げる。
津田はホップする快速球でセーブを稼ぐ。そして躍動感のある爽快な投球で「炎のクローザー」と呼ばれ、一世を風靡した。
しかし津田は1990年に右肩を故障、'91年には脳腫瘍が見つかり引退。'93年に32歳の短い生涯を終える。
津田が戦線を離脱した時期には、大野豊が再びクローザーを務めた。さらに大野は津田の引退後、36歳で再び救援投手に専念、2年連続最多セーブを挙げるなど、広島の守護神として活躍する。
大野豊は通算で148勝138セーブを挙げているが、大野の後任の佐々岡真司も138勝106セーブ。当時の広島のエースは、必要に応じてクローザーの任も買って出た。つまり汗をかくことをいとわない伝統があったのだ。
広島での最多セーブは永川。
その後、広島は再び毎年のようにクローザーが変わる。
再び確としたクローザーが固定されたのは、2003年、永川勝浩だ。2002年、広島県立新庄高-亜細亜大から自由獲得枠で入団した永川は1年目からクローザーとして活躍。2年目に故障で離脱するが、以降は安定した成績を上げた。
永川は「松坂世代」。その後、阪神の藤川球児が「勝利の方程式JFK」の一角として有名になるが、当初は松坂世代では代表的な救援投手だったのだ。なお永川は広島最多の165セーブを挙げている。
<広島セーブ数5傑>※は現役
1永川勝浩165※
2大野 豊138
3佐々岡真司106
4中崎翔太103※
5津田恒実90
永川が右足内転筋の度重なる故障で戦線離脱してからは、外国人投手が締めを担うようになる。