野ボール横丁BACK NUMBER
金足農の優勝条件は吉田輝星だった。
直球にかけた希望と、限界の到来。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2018/08/21 19:45
金足農業・吉田輝星は大会ナンバーワン投手だった。しかしやはり、17歳の1人の高校生でもあった。
斎藤佑樹の証言と一致する吉田の調子。
極限の疲労の中、少しでも体に負担をかけずに投げられるフォームを探しているうち、最後の3試合は、球速は落ちていったのだが、それとは反比例するように球のキレが出てきた。
斎藤はこう振り返った。
「漫画みたいなボールを投げてましたね。それこそ、地を這うような感じのボールでした。120キロ台のボールで抑えられるんなら、そっちの方がいいですからね」
この投球を覚えたからこそ、あの夏、斎藤は投げれば投げるほど調子を上げていくという奇跡を起こすことができたのだ。
無論、選手の体のことを考えたら、それを期待すべきではない。
だが幸か不幸か、吉田もその兆候が表れつつあった。
吉田は甲子園5試合目となる準決勝の日大三校戦がいちばんよかったと話す。
「体が疲れて力が入らない中、それでも低めの球は伸びていた」
捕手の菊地亮太も証言する。
「120キロ台でも、140キロぐらいの威力があった」
斎藤の話と怖いくらい一致していた。
日大三戦は、三振数は甲子園で初めて二桁に届かず、7個にとどまったが、そのぶん球数も抑えられ、それまでではいちばん少ない134球だった。
剛から柔へ――。
そんな劇的なマイナーチェンジをしつつあったのだ。
限界ではない、はるかに超えていた。
だが、秋田大会から蓄積した疲労は想像以上だったようだ。
初回にいきなり3失点すると、4回にも3失点。5回には7安打を集中され6失点した。
「正直、不安だったんですけど、前向きな気持ちでいけば(疲れを)吹き飛ばすことができるんじゃないかと思った。でも、3、4回はもう下半身に力が入らなくて……」
やはり、どう考えても投げ過ぎだった。
斎藤は決勝までの5試合で652球だったのに対し、吉田はそれよりも約100球多い749球も費やしていた。
限界ではない。限界をはるかに超えていた。