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「大井の帝王」的場文男の伝説。
愛され続け61歳で地方最多7152勝。 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byKyodo News

posted2018/08/16 11:20

「大井の帝王」的場文男の伝説。愛され続け61歳で地方最多7152勝。<Number Web> photograph by Kyodo News

45年もの間、馬にまたがり続けて操ってきた的場文男。その積み重ねが7152勝という境地にたどり着いた。

「おれは大井の的場文男だ」

 17歳になった'73年秋にデビューし、'77年に重賞初制覇。27歳になった'83年、129勝を挙げ、初めて大井リーディングの座についた。それを含め、大井で21回('83、'85~2004年)、全国では2回('02、'03年)リーディングジョッキーになっている。

 天性のスタート技術でスムーズに先行し、直線では魂のこもった激しいアクションで馬を動かし、勝ち鞍を重ねてきた。

 今でこそ、大井、浦和、川崎、船橋の南関東4場で毎日のように騎乗しているが、40歳近くになるまでは、大井以外ではほとんど乗らなかった。本人としては「大井であれだけ勝っていれば満足だった」という。「おれは大井の的場文男だ」というアイデンティティを、「帝王」は持ちつづけていたのだ。

中央移籍もまったく考えずに。

 中央への移籍もまったく考えたことがなかったという。

 地方の騎手として、初めてJRAに移籍したのは安藤勝己だった。43歳になった'03年のことだった。

「おれはもう年だったからね」と言った的場は、安藤が移籍した'03年、47歳になった。その口調や表情から伝わってきたのは、「自分は大井の的場のままでよかった」という諦めや悔しさに似た思いではなく、「自分は大井の的場のままがよかった」という、揺るがぬ矜持だった。

 そうした一徹な姿勢や、いかにも勝負師といった風貌から、気難しそうなイメージを抱く人は多いかもしれない。が、素顔の的場文男は、記録達成後のコメントそのままの、誰に対しても丁寧に接する、親しみやすい紳士である。

 '05年、レース中に落馬した前の馬の脚が顎に当たり、上の前歯がのこぎり状に折れ、下の前歯が顎の骨ごと砕かれる重傷を負った。そのときの話になると、「ほら」と下の前歯の入れ歯を外して見せてくれる。上の前歯の折れ方が珍しかったため、折れた9本の歯は、今も標本として大学病院に保管されているという。

【次ページ】 年下でもアンカツさん、武豊さん。

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