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日本バスケット界に貢献したい!
米国大学で文武両道目指す鍵冨太雅。
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byYoko Miyaji
posted2018/08/16 07:00
同年代の選手に揉まれて米国で急成長している鍵冨。フィジカルの問題は、欧米で活躍を願う日本人アスリート共通の課題である。
奨学金とプレー環境で選んだ大学とは?
5月半ば、14カ月のスラムダンク奨学生としての留学を終え、一時帰国する前に鍵冨は秋からの進学先をメイン州にあるボウディン大に決めた。NCAAディビジョンIII(以下D3)の大学だ。
決めるまでにだいぶ迷った。子供の頃から夢見ていたのはNCAAディビジョンI(以下D1)の大学でプレーすることだった。
しかし、D1の大学のバスケットボール・チームからは奨学金のオファーを得ることができなかった。
一般入試を受け、D1のホーリークロス大やボストン大にも合格、そこでウォークオン(奨学金なし)枠でプレーすることも検討した。ただ、奨学金をもらっている選手が優先させるため、ウォークオンだと試合にはほとんど出られない可能性があることも覚悟しなくてはいけない。その場合は、D1のチームでバスケットボールを学び、日本に還元するというのが目的になる。
一方、ボウディン大はD3だけにスポーツでの知名度は高くないものの、D3の中ではバスケットボールも強豪カンファレンスに所属し、コーチからも熱心に勧誘してもらっていた。
「大学バスケは4年間しかないということも考えて、苦渋の選択ながら1年生から主力として活躍できるチャンスがあるボウディンに決めました」
鍵冨はツイッターでそう、選択の理由を説明している。
渡米の理由は「挑戦したかった」から。
どちらの選択をした場合でもバスケットボールと共に重要視していたのが学業面だった。この先、バスケットボール選手としての引退がいつ訪れるかはまだわからないが、その後のキャリアのためにも、学業面でも自分の求めているレベルであることは大事だった。
その点、ボウディンは学業面でも全米トップレベルにあり、目指していた文武両道を貫くことができるのも魅力だった。
鍵冨がスラムダンク奨学生として再びアメリカに戻ってきた一番の理由は、挑戦したかったからだ。実際に14カ月を過ごしてみて、毎日、挑んでいるという実感があった。
「自分がどこまでいけるかに挑戦しています。小さい頃にアメリカで育ち、アメリカの大学に憧れて、その夢、目標に対する挑戦ですね」
もちろん、その挑戦は14カ月で終わったわけではない。8月下旬からは大学という次の舞台に移り、さらなる挑戦が続く。
進学先報告のメッセージで、鍵冨はこう書いていた。
「これからの大学4年間でも文武両道を極め、活躍している姿を見せることでアメリカの大学を目指そうとする日本人に良い影響を与えられるように、そして日本バスケ界の発展に貢献出来るように頑張りたいと思います」
(『宮地陽子のGO FOR 2020 ~海外日本人選手奮闘記~』より(c)B.MARKETING)