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甲子園の「史上最高の試合」とは。
39年前の箕島-星稜伝説が甦る。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2018/07/19 17:00
箕島が春夏連覇に至る過程、3回戦での激闘だったが、延長に入り2度、二死走者なしからの同点劇など、多くのドラマ性があった。
エネルギー補給に、後攻の高勝率。
箕島の12安打に対して、星稜は全て単打ながら19安打。押されていたはずの箕島はなぜ勝てたのか。
まずは延長戦に入ったことが大きかった。箕島は春夏17度の甲子園に出場し、ちょうど50試合(37勝13敗)を戦っているが、実は6度の延長戦には全勝している。この粘りの源に筆者が触れた気がしたのは、当時の星稜の選手の中に「試合中はのどがかわいて、腹が減っていたのを覚えています」という証言があったからだ。
実際、スポーツドリンクの粉末は使い切り、水を足しては飲み、だんだんと味がしなくなったそうだ。試合中のエネルギー補給はなし。時代を考えるとそんなものかと思っていたが、嶋田は違うと言った。
「箕島はいつもレモンのハチミツ漬けを水で割って飲むんですが、それが足りないなんてことは一度もありませんでした。それと板チョコを食べていたんですよ」
聞けばチームドクターと言うべき医師から、さまざまな助言を得ていたのだそうだ。ふんだんな水分と糖分の補給はとくに夜間に及んだこの試合では効果を発揮したはずだ。
次に箕島が後攻だったこと。6戦全勝の延長戦のうち、5試合はサヨナラ勝ちだ。嶋田によると、尾藤の指示で「じゃんけんに勝てば必ず後攻」だったという。甲子園全50試合のうち、先攻は17試合で11勝6敗。後攻は33試合で26勝7敗。
「この景色を覚えておきなさい」
勝率も高いのだが、この試合では後攻であることが最後の最後で箕島に決定的なプラス材料をもたらした。「最終回」を迎えるにあたって、非情の場内アナウンスが流れたからだ。
引き分けとなった場合、再試合は翌日の午前8時30分開始……。表が無得点に終わった星稜の堅田にはあまりにも酷な通達だ。対する箕島に負けはない。嶋田によると、淡々と翌日の先発投手まで告げられていたという。
ちなみに投げるのは石井ではなかった。重圧のない箕島打線と連投が宿命づけられていた堅田。2四球からのサヨナラ打で決着がついた。球審の永野は試合で使用したボールをそっと堅田に手渡し、「この景色を覚えておきなさい」と告げたという。
その堅田は現在、審判員として、春夏の甲子園に立っている。一方、石井(現在の姓名は木村竹志)は第100回大会を迎えるこの夏、大会2日目(8月6日)に始球式を務め、甲子園のマウンドに戻ってくる。39年前に「最高試合」があったのだと、若い世代にも知ってもらういい機会なのだろう。