草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
甲子園の「史上最高の試合」とは。
39年前の箕島-星稜伝説が甦る。
posted2018/07/19 17:00
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
39年前の夏に伝説が刻まれた。第61回全国高校野球選手権。春の覇者・箕島(和歌山)に好左腕の堅田外司昭を擁する星稜(石川)が挑んだ。
詩人、作詞家の阿久悠は、翌日のスポーツ紙に「最高試合」という詩を寄せている。高校野球を愛してやまなかった阿久をして「君らの熱闘の翌日から甲子園の季節は秋になった……」と書かしめた魅力はどこにあるのか。阿久だけでなく「甲子園史上最高の試合」と位置づける高校野球ファンが多いのはなぜなのか。
引き分け再試合ではなく、延長18回で決着がついたこと。つまり、翌日に持ち越すことなく勝者と敗者が分けられたこと。淡々とゼロを重ねていったのではなく、延長戦に入って2度も勝ち越しと同点を繰り返していること。
阿久は「奇跡は一度だから奇跡であって二度起きればこれは奇跡ではない」と書いている。転倒があった。隠し球があった。病を押しての出場もあった。名勝負にさらなる彩りを添えるエピソードにも事欠かないこと。勝った石井毅が257球、負けた堅田が208球。両エースがマウンドを降りることなく投げきったこと。甲子園ファンの「好物」がぎっしりと隙間なく詰まった試合だったのだ。
「監督、ホームラン打ってきます」
1979年8月16日。13年後の同じ日に松井秀喜が5敬遠で敗退する、星稜にとっての厄日である。プレーボールは午後4時6分。終了は7時56分。延長10回からはナイター照明が点灯され、最終スコアは4-3。39年前の「最高試合」を振り返る。
「あれはね、許可を求めたんじゃないんですよ。『打ってきていいですか?』じゃなく『監督、ホームラン打ってきます』。これが真実。なんであんなこと言うたんですかねえ。もう最後やし、打てたらかっこよかったからかなあ」
こう話すのは、現在は阪神の先乗りスコアラーとしてチームを支えている嶋田宗彦。阿久の表現を解釈するなら「一度なら奇跡」ということになるから、嶋田の同点ホームランは「奇跡」と言っていいのかもしれない。延長12回。直前の守備では主将の上野山善久の適時失策で1点勝ち越されていた。
「でもあの試合のキャプテン、熱が40度出てたから。ただの発熱じゃなくおたふく風邪。今なら絶対に出させてもらえないよね。その後で誰にもうつらんかったんも奇跡でしょ。もうフラフラやったと思いますよ」