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超長期計画で育ったウルグアイ代表。
“独裁者”タバレス監督とは何者か?
text by
トマス・グバンThomas Goubin
photograph byMark Baker/AP/SIPA
posted2018/07/05 11:00
2006年からオスカル・タバレス監督によって鍛え上げられてきたウルグアイ代表。綿密な長期計画に沿って成長してきたチームは、そのピークを迎えている。
クラブと同様の指導を若い代表チームでも。
タバレスの指針に沿った若年層の強化を実際に開始したのは、AUFの英断であるといえた。
若年層の選手たちは、週の半分を代表チームの施設で過ごさねばならない。そこではタバレスが、クラブの監督と同じように若い選手たちを毎日のように指導していた。エディンソン・カバーニやルイス・スアレスもこの過程を経てプロになっていったのである。
それから12年が経ち、得られた成果は望外だった。
'94年、'98年、'06年のワールドカップで本大会出場を逃したウルグアイが、“エル・マエストロ(タバレスの愛称)”の代表監督復帰とともにワールドカップの舞台にも復帰し、2010年は準決勝、'14年はラウンド16に進出した。
またコパ・アメリカでは、'11年にメッシ率いる開催国アルゼンチンを準々決勝で退け、ウルグアイに6大会ぶり15度目(大会最多)の優勝をもたらしたのだった。
プロジェクトの中心理念は「リスペクト」。
タバレス監督のもと8年間を代表で過ごしたアンドレス・スコッティはこう語っている。
「彼が代表監督に復帰したときにはさして話題にならなかった。義務は何もなかったが、受け入れた以上は全力でとことんやり尽すと、就任の際に彼は語ったんだ。
思うに彼のプロジェクトの中心となる理念はリスペクト――他人への敬意だ。それがベースだけれども、ウルグアイ社会の中でこの理念を貫き通すのは簡単ではない」
スコッティはタバレス時代の象徴的な存在である。
タバレスが初代表に選んだとき、ルビン・カザンに所属していたスコッティはすでに30歳になっていた。彼のメンタリティを高く評価したタバレスは、強固なグループを形成するためにその力を大いに頼りにしたのだった。
同じ理由でタバレスは、ディエコ・ルガノを絶対の信頼を置くキャプテンに指名した。
しかし負傷によりブラジルワールドカップの途中で欠場を余儀なくされると、代わりに出場させたのはU-17からウルグアイ代表の経験があるものの、所属するアトレティコ・マドリーで1試合しかリーガ出場経験のない19歳のホセ・ヒメネスだった。