マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
西武・山川穂高のホームランと愛嬌。
「僕の場合、それだけでスタンド」
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2018/06/28 07:00
山川穂高は、なんともいい顔でベンチに帰ってくる。バットだけではない貢献度も高いのだ。
タイミングを崩された時がフルスイングの出番。
「僕みたいなタイプのバッターは、やっぱり変化に弱いと思われるんですよね、そういう攻められ方しますから。変化球でタイミング崩された時に、外されたぶん補う感じですかね……その時が“フルスイング”の出番なんです」
あるスポーツ新聞で、山川穂高のバッティングを連続写真で解説した記事を読んだことがある。
確か、内角高めの速球を両腕の絶妙なたたみ込みでヒットにしたひと振りだったが、踏み込んだ左足の位置と、右耳のあたりに残っているグリップとの距離の“塩梅”の良さに目を奪われた。
これだけしっかりした体の“割れ”が作れれば、変化球に外されてもそれほど体が突っ込むことなく、残してあるグリップで「ガバーッと」(山川的表現)振り抜いていけるはずだ。
「まいんち見に来てるんだから、それぐらいわかっといてもらわんと……」
そんな“憎まれ口”をたたいても、その場にドッと笑い声が起こるのも、山川穂高の人徳なのかもしれない。
喜怒哀楽の喜と楽をストレートに出す。
富士大学(岩手・花巻市)の頃の山川穂高は、学生球界トップクラスの長距離砲だったから、「学生ジャパン」の常連でもあった。
「もちろん実力もあるんだろうけど、ジャパンのメンバー組んであいつがいないと、なんかひとつ足りないっていうか、さみしいっていうか、とにかくみんな大好きなんですよ、山川のことが」
当時、学生ジャパンの指導者をつとめていたある大学の監督さんが、そんなことを言って笑っていた。
「あいつ、なんかいつも笑ってるでしょ。喜怒哀楽の喜と楽をものすごくストレートに、自然に、表に出せる。そういうのって、人間社会の中で立派な才能だと思いますよ。
だって、いつの間にか山川のまわりに選手たちが集まりますもん。あいつのそばにいると、なんか安心するんですよ。わかりますね僕にも、その気持ち」
親ひとり子ひとりで、お母さんの愛情を一身に浴びて、そのお母さんの作るご飯が美味しくて、中学の3年間で50キロだった体重が100キロになり、それが今はプロ野球屈指のスラッガーとして“財産”になっている。
そんなことを、ツラツラ語っていたこともある。