Number ExBACK NUMBER

松坂の横浜か、KKのPLか。高校野球の
最強校をプロ野球選手に聞くと……。 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2018/06/20 16:30

松坂の横浜か、KKのPLか。高校野球の最強校をプロ野球選手に聞くと……。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

1998年夏の甲子園、準々決勝でPL学園との死闘を制した横浜は翌日の準決勝・明徳義塾戦も6点差を逆転し、劇的なサヨナラ勝ち。

大島はしばらく考えたあとにこう答えた。

「高校野球ですか?」

 何か、ひと言ありそうな顔をしていたから、その場で歴代最強校アンケートをしてみた。

「うーん……」

 何事も慎重な大島らしく、しばらく考えた後に納得顔でこう言った。

「やっぱり、1998年の横浜でしょう。特に僕らの世代は。僕もあの準々決勝、PL戦を見て、甲子園行きたい! と思ったんですから。あれは今、考えてみても決勝戦だったんじゃないかなって思うくらいです」

 大島は当時、中学生だった。愛知県の享栄高出身だが、自らが生まれ育った野球王国の強豪を差し置いても、やはり、あのチームは別格であり、永遠だという。

元PL学園監督とも自然と甲子園の話に。

 結局、この日は古巣西武相手に先発予定だった松坂が登板回避したので、早めにスタジアムを後にした。最寄り駅の「西武球場前」まで歩きながら、ある人に電話をする用事があるのを思い出した。

 元PL学園野球部監督・中村順司さんだ。別件の話だったのだが、やはり会話は自然と夏の甲子園へと向かった。

 泣く子も黙る、甲子園通算58勝の指揮官は言った。

「今もね、立浪(和義)や、片岡(篤史)、野村(弘樹)、橋本(清)たちの世代からよく聞かれるんだよ。『監督、清原(和博)さんや桑田(真澄)さんたちの代と、僕たちの代、どっちが強かったですか?』って。だから、そういう時、僕は『そりゃあ、お前、先輩たちを立てないわけにいかんだろう』と答えるんです(笑)」

 確かに、歴代最強チームというテーマで、1998年の横浜高校に待ったをかけるとすれば、PL学園なのかもしれない。

 桑田、清原のKKコンビは1年生だった1983年の夏を制してから5季連続で甲子園に出場し、最後となった1985年の夏、決勝で宇部商(山口)を4-3のサヨナラ勝ちで倒して頂点に立った。

 またその2つ下の世代である立浪、片岡らは1987年夏に優勝して、同校史上初の春夏連覇を成し遂げている。この2つの世代が集まると、今でもよく「どっちが強かったか?」という談義になるという。1980年代後半から1990年代にかけて、PLは黄金時代だった。

【次ページ】 高校を卒業した後の成績が大事?

BACK 1 2 3 NEXT
#松坂大輔
#中村順司

高校野球の前後の記事

ページトップ