草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
日大アメフト問題に見る球界監督論。
時代は「ボス」から「リーダー」へ。
posted2018/06/07 11:15
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
スポーツ紙やテレビの情報系番組だけでなく、一般紙やニュース番組も連日取り上げている日大の「悪質タックル問題」。
アメフットを観たことがない人でも、あの動画を見ればただの反則ではないとわかるだろう。そして誰もが「本当に異常なのはこの選手ではないはずだ」と推論し、その後の展開は予想通りになっている。
大学フットボールを牽引してきた名門の闇。指示したとされる内田正人前監督は、大学の常務理事(辞任)という要職にも就いていた。いったいなぜこんなことが起こったのか。いや、なぜこんな人物が学生スポーツを指導していたのか。
そんな疑問に答えてくれるのがDeNAのアレックス・ラミレス監督の著書『CHANGE!』だ。
ラミレス監督は「将来監督になりたい」と考え始めた現役時代から、自らに「そもそも監督とはいったい何だろう」と問うてきた。行き着いたのは監督には「ボス型」と「リーダー型」があり、自分が目指すべきは後者だということだ。以下、同書から引用する。
《ボス型の監督の姿勢としては、「選手を使う」という印象がつきまとう。もしくは「選手を叱責する」姿を思い浮かべてもいいだろう。このタイプの監督が選手たちと会話を交わす際には、「オレが、オレが」という態度が前面に押し出されるはずだ。自分こそがチームの司令塔である、との思いが強く、自分は命令を下す立場にあると信じている。チームを率いる上で、監督には一定の権力が与えられている。したがって、その権力を行使して、恣意的な起用もできる。何かミスがあれば、その責任を選手に押しつけ、彼らを非難することもあるだろう。逆に何かいい結果が出れば、その手柄はすべて自分のものとするかもしれない。これが私のイメージするボス型の監督の姿である》
「乖離があった」と平気で言う理由。
対して自らが目指すリーダー型の監督像をこう考える。
《「選手たちを育成したい」「選手たちを指導したい」「選手たちの前向きな気持ちを奨励したい」「選手たちのやる気を刺激したい」という思いが行動の源であり『その後、いい結果が出れば、その功績はすべて選手のものだ。まず先に考えるべきなのは、選手であり、自分のことであってはならない』》
この引用部分を読むだけで、内田前監督や井上奨前コーチら指導者が、当該選手との間に「乖離(かいり)」があったなどと平気で言う理由がよくわかる。
同書はタックル事件以前に出版されているのだが、これぞボス型監督の典型例であり、暴走が暴走を呼び、最終的にたどり着いたのがこの悲劇だったのは、ある意味では必然なのだ。