ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
本当はキン肉マンになるはずだった、
スーパー・ストロング・マシン引退。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2018/05/22 17:00
「平田だろ、お前!」で一躍有名になったスーパー・ストロング・マシン。パワフルな戦いぶりが印象的だった。
新日の意向とメキシコとカナダ。
新人時代は、ほぼ同期の前田日明、ジョージ高野らとしのぎを削り、のちにWWE世界王者として'90年代を代表するレスラーとなるブレット・ハートが新日本に来日した際に親しくなったことがきっかけで、'82年にブレットの父スチュ・ハートが主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングへ初の海外遠征に出ることが決まった。
ところが出発直前の土壇場で、新日本と提携関係にあったメキシコのUWAに行き先が変更されてしまう。
これは当時メキシコUWA参戦中だった長州力が、“革命戦士”となるべく帰国することが決まり、UWA側が代わりとなる日本人選手の派遣を要請。長州に背格好やファイトスタイルが近い、平田が送られることとなったためだ。
しかし、当時のメキシコは通貨価値が大暴落した経済混乱期。そこに無理やり送り出された平田の反骨心に火がつく。しばらくメキシコで試合をしたのち、新日本には無断でUWAを離脱し、カナダへとわたったのだ。これはもう日本には戻れない覚悟の上での行動だった。
タイガーマスクに続きキン肉マンのはずが。
カナダでは頭をモヒカン刈りにして、北アメリカ先住民族ギミックのサニー・ツー・リバースに変身。ベビーフェイスとしてインディアン居住区のヒーローとなった。その後はカナダに遠征してきたキラー・カーンに誘われ、念願のアメリカ(テキサス州ダラス)転戦が内定するが、ここで新日本から帰国命令がくだる。'84年当時、新日本は選手大量離脱に見舞われており、人員補充が必要だったためだ。
平田はこの帰国命令を一度はテキサス行きを理由に断るが、坂口征二副社長(当時)に説得されたことで承諾する。そして2年ぶりに帰国した平田には覆面が用意されており、当時子供たちの間で人気絶頂だった漫画『キン肉マン』の主人公への変身が命じられたのだ。
これはもちろん、タイガーマスクの大成功を受けて、2匹目のドジョウを狙ったものだったが、権利関係がクリアされていなかったため、この企画は土壇場で頓挫。苦肉の策として生まれたのが、“謎の怪覆面”ストロングマシンだった。