ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
本当はキン肉マンになるはずだった、
スーパー・ストロング・マシン引退。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2018/05/22 17:00
「平田だろ、お前!」で一躍有名になったスーパー・ストロング・マシン。パワフルな戦いぶりが印象的だった。
団体の利益に反しても柴田勝頼に助言。
そしてスーパー・ストロング・マシンに改名後、'85年8月に新日本を離脱。ヒロ斎藤、高野俊二(拳磁)とカルガリー・ハリケーンズを結成し、先に新日本を離脱しジャパンプロレスを設立していた長州力らを追うように、全日本プロレスに参戦する。しかし、マシンにとって古巣であったはずの全日本の水は合わず、'87年に長州らとともに新日本にUターン。
'82年にメキシコ遠征を命じられて以降、常に会社に反発しながら自らの道を模索し続けたマシンだが、新日本に復帰してからは常にバイプレイヤーとして団体を支える役割を続けた。“暗黒期”と言われた2000年代に、橋本真也、武藤敬司、長州力、藤波辰爾ら主力の多くが離脱してもマシンだけは新日本に残った。
2000年代半ばからは、現場責任者や道場のコーチなどを歴任し、若手を指導。当時、新日本の方向性と自分が理想とするプロレスの乖離に悩んでいた柴田勝頼に対しては、親身になって何度も相談を受け、「そんなに悩むなら、1回おまえのやりたいことをやってみろ。よそに行っても、おまえがちゃんと成長すれば、絶対にまた新日本がおまえを必要とする」と、背中を押すようなアドバイスを送っている。
団体の利益には反することだったかもしれないが、自らの進む道を模索し続けた経験を持つマシンだからこそ、柴田の気持ちが痛いほど理解できた上での助言だった。
昭和新日本から続く基礎をみっちりと。
道場コーチ時代のマシンの教え方は、デビュー前の新弟子に対して、昭和新日本から受け継がれた基礎をみっちりと教えるというもの。その基礎が出来上がった上で、新しい現代のプロレスを覚えさせていったのが、近年の新日本プロレスだった。そして今年、負傷リハビリ中の柴田勝頼が、新日本ロサンゼルス道場のヘッドコーチに就任した。
近年、プロレスは大きく様変わりしたが、新日道場魂や、ストロングスタイルの基礎は、これからも日本とアメリカ両方で受け継がれていくことだろう。それは2000年代以降も新日イズムを絶やすことなく、後進に伝え続けたスーパー・ストロング・マシンという存在がいたからこそなのだ。