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NBAのスター“ペニー”が指導者に。
Bリーグ三遠のドジャーが語る素顔。 

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青木崇

青木崇Takashi Aoki

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photograph byB.LEAGUE

posted2018/04/27 17:30

NBAのスター“ペニー”が指導者に。Bリーグ三遠のドジャーが語る素顔。<Number Web> photograph by B.LEAGUE

2016年に来日し三遠ネオフェニックスでプレーするロバート・ドジャー。ヨーロッパやアジア各国でプレーしてきたベテランジャーニーマンだ。

「この街が私を育ててくれた。今度は……」

 ところが、1997-98シーズン序盤に見舞われたひざの故障は当初の予想以上に重傷だった。1999年夏にフェニックス・サンズに移籍したものの、ハーダウェイはマジック時代の輝きを取り戻すことができないまま時間だけが経過。36歳になった2007年12月3日、マイアミ・ヒートのメンバーとしてユタ・ジャズ戦に出場したのが、NBA選手として最後の試合になった。

 現役引退後、故郷のメンフィスに戻って生活していたハーダウェイは、2011年に母校の中学校を皮切りにコーチとしてのキャリアをスタート。コーチの道に進むきっかけを作ったデズモンド・メリウェザーが2015年にガンで亡くなると、彼が率いていたメンフィス・イースト高でヘッドコーチの仕事を引き継いだ。

 3年連続でテネシー州のチャンピオンになるなど、全米トップクラスの強豪チームを作り上げたことが評価されたハーダウェイは、2018年3月20日に母校メンフィス大の新指揮官となることで合意。

「この街が私を育ててくれた。バスケットボールを始め、いろいろなことで成功を手にしてきたから、今度は私が街のためにやりたい」と、ハーダウェイは意気込みを語った。

地域貢献を毎年行なうナイスガイ。

「彼はメンフィスの街にとってすごく大きな存在なんだ。地域貢献を毎年のように行なっているし、メンフィス出身者が有名な大金持ちになっても、地元に還元する人なんてほとんどいない」と言うドジャーは、2005年秋にメンフィス大へ入学した当時から、ハーダウェイと良好な関係を築いている。後輩たちの練習をしばしば見に来ていただけでなく、身体のケアをしっかり行うことが大事といったプロ選手として欠かせない姿勢を教わったという。

 NBAスーパースターに飛躍した一方で、長年にわたって故障に苦しんだ経験を持つハーダウェイの存在は、有望な高校生がメンフィス大に入学したいと思える環境を作ることができる点で大きなプラスだ。

「大学での成功は、4つ星、5つ星といったすばらしい高校生たちをリクルートできるかにかかっている。ペニーが指揮したメンフィス・イースト高はここ2年で全米No.2にランクされたチームであり、そこからすでに2人が入学することも決まっている」

 そうドジャーは説明する。メンフィス大の復活に向けた第一歩は順調と言える。

 ハーダウェイがどんなチームを作り、どんな采配を見せるのか? ドジャーのようなOBや市民だけでなく、多くのバスケットボールファンにとっても、来シーズンのメンフィス大は注目に値するチームになりそうだ。

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