ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
中邑真輔“第三形態”で王座再挑戦。
長州、蝶野、内藤と同じヒール転向。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by(C)2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.
posted2018/04/24 17:30
レッスルマニアでのまさかの急所攻撃。王座獲得ならずも、中邑真輔の残したインパクトはドデカい。
ラッシャー木村、アニマル浜口は……。
昔からベビーフェイスとヒールがしっかりと分かれていたアメリカのプロレスでは、仲間のヒーローを裏切ってのヒールターンが頻繁に行われていたが、かつての日本のプロレスでは、あまり見られないものだった。
日本のプロレスはその黎明期から、日本人=ベビーフェイス、外国人=ヒールという構図が基本であり、日本人レスラーが突如外国人側に寝返るということは、ほとんどなかったからだ。
日本人ヒールの先駆けとしては、'77年にタイガー・ジェット・シンと結託した上田馬之助や、'81年に国際プロレス崩壊後、新日本プロレスに参戦してきたラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇のはぐれ国際軍団などがある。だが、彼らは新日本に登場したときから、外敵としていわばヒール扱いであり、ベビーフェイスが突如寝返るヒール転向ではなかった。
かませ犬発言でヒールターンした長州力。
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では、日本のメジャー団体で、最初に衝撃的なヒール転向を見せた代表格は誰かと言えば、それは長州力になるだろう。
長州は'82年10月8日後楽園ホールでの6人タッグマッチの試合中、パートナーの藤波辰巳に対して、「俺はおまえのかませ犬じゃないぞ!」と反逆。不遇の時代が長かった長州の叫びは真に迫っており、その結果、多くの人々の共感を呼び、一躍時の人となったのだ。そしてこれをきっかけに反体制に回り、革命軍から維新軍を結成し、大ブレイクをはたすこととなる。
長州や維新軍は、反則を繰り返すような典型的なヒールではなかったが、あの「かませ犬発言」は、日本式ヒールターンの最初の成功例。そして長州は、衝撃のヒール転向によってブレイクをはたしたレスラーの第一人者となったのだ。