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大谷翔平とベーブ・ルースの23歳。
13勝11本塁打から100年後の新伝説。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byAFLO
posted2018/04/20 17:00
「見たことがないもの」を人はまず警戒し、疑い、そして熱狂する。大谷フィーバーはまだ止まりそうもない。
3試合連続、4試合連続の本塁打も。
1918年4月のルースは投手として4試合すべてに完投して3勝1敗、打者としては「代打」での2打席を含む17打席に立ち、12打数5安打3打点で本塁打はまだ打ってない。
打者ルースが本格的に力を発揮し始めたのは5月である。
1918年5月、ルースは4日のヤンキース戦から、大谷と同じ3試合連続本塁打を記録するなど、出場12試合で47打席に立ち、43打数17安打、3本塁打9打点と打率4割に迫る活躍を見せた。
出場の内訳は投手として3試合(3試合すべてに完投して1勝2敗)、一塁手として4試合、左翼手として4試合、そして代打で1試合に出場している。
ルースはその後、投手としてチームの優勝に大きく貢献。打者としては6月に4試合連続を含む8本塁打を記録したが、それで同年の最終成績11本塁打に達し、7、8月は本塁打を1本も打てなかった。
この年は第1次世界大戦の影響でシーズンが(レッドソックスにとっては)126試合に短縮されたそうで(前年は157試合だった)、たった1試合しか行われなかった9月も、本塁打は打っていない。
ルースはこの年の途中から「疲労」について首脳陣に不満を訴えていたらしいが、それは「二刀流」ではなく、普段の不摂生が原因だと言われている(毎晩、暴飲暴食をして睡眠時間が平均4時間だったという嘘みたいな豪傑伝もある)。
日本ハムが作ったひな型をうまくアレンジ。
もちろん、その「疲労」は大谷にとっても今後を占う上でキーワードになる。
エンゼルスは今のところ、北海道日本ハムがひな型を作った「投打二刀流」をうまくアレンジして今の好成績につなげている。つまり、大谷は今後も与えられた先発登板、与えられた打席を淡々とこなしていくだけで、ルースが「投手」から「打者」へと転向する過程で残した稀な記録=「二けた勝利と二けた本塁打」に着実に近づいていく。
それが「二刀流」の成功を意味することなのかどうかは正直分からないが、前例のないことをやっているのだから、ひとまず1918年のルースの成績が参考になるのは確かだろう。
二けた勝利まであと8勝、二けた本塁打まであと7本。1918年のルースが記録した13勝まであと11勝、11本塁打まであと8本である。ルースが投手から打者へと転向する過程で生まれた「二刀流」から100年、我々が目撃しているのは新しい伝説か、それとも――。