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大谷翔平とベーブ・ルースの23歳。
13勝11本塁打から100年後の新伝説。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byAFLO
posted2018/04/20 17:00
「見たことがないもの」を人はまず警戒し、疑い、そして熱狂する。大谷フィーバーはまだ止まりそうもない。
ルースの二刀流はほぼ1918年限定。
そんな偉そうなことを言ってる自分が、大谷がまだ日本にいた2016年のオフ、「大谷翔平とベーブ・ルースの4年間」というコラムを書いた。
メジャーリーグと日本のプロ野球、1910年代と2010年代という国や世代の違いをまったく無視して、北海道日本ハムの大谷とレッドソックス(当時)のルースの最初の4年間、打率や出塁率などの「割り算」で計算する成績がとてもよく似ているといささか乱暴に書いた。
メジャー最初の4年間、ルースは前出の通り、指名打者制度のない時代で普通に打席に入っていた。投手としては1914年のデビューから2年目に32試合で18勝、3年目の1916年は44試合(!)で23勝、4年目の1917年は41試合で24勝とメジャーリーグ屈指の左腕投手になった。
しかし、打撃ではメジャーデビューした1914年から順に5試合で本塁打ナシ、42試合で4本塁打、67試合で3本塁打、52試合で2本塁打と、本塁打そのものが珍しかった時代であったことを差し引いても、打者ルースはまだ本領を発揮していなかった。
ルースが「投手」としても「打者」としても才能を発揮したのはやはり、我々メディアがよく持ち出す「二けた勝利と二けた本塁打」を達成した1918年である。
その年、ルースは大谷と同じ23歳だった。
奇しくもその年、ルースは今の大谷と同じ23歳だった。
投手ルースはその年、20試合166回と1/3に登板して13勝7敗、防御率2.22という好成績を残した。前出の通り外野手で59試合、一塁手として13試合に出場し、投手として出場した打席、代打のみの打席を併せると、打者ルースも317打数95安打で打率3割、11本塁打、66打点という好成績を残している。
Baseball-Reference.comによると、1918年4月15日のシーズン初戦は、これまた奇しくも、大谷が今年の4月2日にメジャー初登板、初勝利を挙げたアスレチックス戦(当時はフィラデルフィアが本拠地)だった。
ルースはこの試合に「9番・投手」として出場し、投手としては9回4安打1失点で完投勝利、打者としては3打数1安打2打点だった。