近藤朱里のNo Challenge☆No Life!BACK NUMBER
家出少女がUFCファイターに!
近藤朱里が戦いの道を選んだ理由。
text by
近藤朱里Syuri Kondo
photograph byTadashi Shirasawa
posted2018/04/12 11:15
ボテーリョとのUFC第2戦まで約1カ月。連日厳しいトレーニングで自分を追い込みながら仕上げの段階へと入る。
ハッスルのオーディションに合格。
でも、少しも光が見えなかった。ものすごく悩みました。芸能界で活躍してる子は十代から活躍しているというのに、私の十代はもう終わる。私には何もない。どうしたらいいんだろう? 焦りを感じていました。
そんな中、知り合いから「ハッスルのオーディションがあるんだけど受けてみない?」と言われました。それまでプロレスを見たこともなかったし、どんなものかもわからない。けれど、当時ハッスルにはたくさんの有名人が出ていました。
とにかくなんでもいいからやってみなきゃ。そう思い、オーディションを受けました。特技として、小学校の頃にやっていた空手の型を披露すると、なんとか合格することができました。
それから練習を重ねていき、オーディションで受かった人は他にもいましたが、最後に残った私がデビューを勝ちとることができました。レイザーラモンRGさんに命名され、私は空手ガール「KG」としてデビューしました。
そして、リングの上で試合をして結果を出すことによって輝けた。自分が最も輝ける場所を見つけた気がしました。
母に連絡をとり、ちゃんと家に帰りました。けれど、やはり母は娘がリングに上がるなんて大反対。アザを作って帰った時は本当に悲しんでいたと思います。
給料をもらえたのは2カ月だけ。
また、私がデビューした頃のハッスルは終わりを迎える2年前。給料をもらえたのはデビューして最初の2カ月だけ。その後は全部未払いでした。交通費もなく、深夜にバイトしたのを思い出します。
未払いが続いても、新米だから練習じゃない時間も道場に長くいなければいけない。さらに雑用もある。深夜バイトもしなきゃいけないから寝る時間もあまりなかったため、体調をよく崩していました。
試合の日は選手全員(15人ほど)のコスチューム、ガウン、サポーター、靴下、タオル、シャンプー、リンスなども、最後の方は1人で用意しなければならなかった。道場のリングを解体して、試合会場までトラックで運び、会場でリングを組み立てて、試合が終わったらまた解体、トラックで道場に戻って、再びリングを組み立てる。
その後、選手全員のコスチュームを洗濯して干す。全部終わるのは深夜。帰れませんでした。そういえば、試合前にある選手のサポーターを用意するのを忘れてしまって、号泣して謝ったこともありました。