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小林快、世界陸上銅と箱根への葛藤。
「競歩転向、100%良かったとは」 

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

PROFILE

photograph byRei Itaya

posted2018/03/19 07:00

小林快、世界陸上銅と箱根への葛藤。「競歩転向、100%良かったとは」<Number Web> photograph by Rei Itaya

箱根駅伝を夢見た男が、五輪の競歩者となる。小林快の歩むアスリート人生は非常に興味深い。

大迫傑、山本修平との差を実感した。

「早稲田には競歩ブロックがなかったので、歩く必要がないと思っていたんです。でも、入学したらインカレで競歩に駆り出される恰好になりまして……」

 大学での重心はあくまで長距離。競歩に出る場合は試合前の2週間だけ練習する――そう決めていた。しかし、学年が進むにつれ、小林は学生トップレベルの選手たちとの差を実感するようになる。

「1年上には大迫(傑)さん、同級生には(山本)修平といった、中学時代から実績を残した選手たちがいました。僕も練習では走れるんです。でも、それは練習の時点から目いっぱい、全力を出していたからなんです。彼らは余裕を持って練習をしていました」

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 憧れの箱根メンバーは少しずつ、遠のいていった。そして大学3年の初夏、小林は決断を迫られる。

「長距離ブロックで活動を続けるなら、絶対に外してはいけない日体大記録会がありました。調整もしっかりやって、集中して臨んだのに、(5000mで)15分30秒くらいかかってしまって。その結果を受けて、決断を迫られました」

「人間として見限られたわけではない」

 歩くか。

 マネージャーとして活動を続けるか。

 もしくは、競走部をやめるか。

「やっぱり――という感じはありました。中学の時からずっと追い続けていた夢が、急にすべて無くなってしまうのは本当につらくて。本当に、ひと言で夢が失われてしまうんです。『もう、いいや』という気持ちもゼロではありませんでしたが、正直、反発心も芽生えました。選手としては見限られたとしても、人間として見限られたわけではない、と」

 小林は「歩くこと」を選択した。そしてその3カ月後に東京オリンピックが決まり、小林は真剣に競歩に取り組むようになる。両親に競歩を続けるとは言ったものの、卒業後に実業団で競技を続けられる環境は長距離選手に比べ限られている。就活のリサーチをしているうち、ビックカメラが立教大の競歩選手、岡田久美子を採用したことが分かり、小林もエントリーシートを書き、面接に臨んだ。

【次ページ】 持久力が問われる50km競歩で勝負する。

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