サッカー日本代表 激闘日誌BACK NUMBER
ジャーナリスト戸塚啓が目撃した激闘の記憶
posted2018/03/23 10:00
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
KYODO
ワールドカップフランス大会アジア最終予選(タシケント パフタコル・スタジアム)
日本 1-1 ウズベキスタン
1997年当時の日本代表にとって、ウズベキスタンでのアウェイゲームは未知との遭遇だった。
ウズベキスタンと対戦したことは、それまでにもあった。'96年9月に国立競技場で、同年12月にUAEのアルアインで向き合い、1対0と4対0でそれぞれ勝利している。'97年9月開幕のフランスW杯アジア最終予選でも開幕戦で激突し、カズこと三浦知良の4ゴールなどで6対3と大勝した。
ほぼ1年以内に3連勝しているから、相性は悪くなかったはずである。主力選手の特徴も把握できている。
気がかりは日本のチーム状況だった。
ウズベキスタンに大勝した日本は、続くアウェイのUAE戦を引き分けで乗り切った。ところが、ホームの韓国戦で1対2の逆転負けを喫し、カザフスタンとのアウェイゲームでも後半の失点で勝点3を取り逃してしまう。
この時点で韓国が4連勝と独走しており、首位通過にはすでに黄色信号が灯っていた。日本サッカー協会は加茂周監督を更迭し、コーチの岡田武史を暫定的に監督に据える。
「チームの状態を一番分かっている。できるのは岡田しかいない。次のウズベキスタン戦で悪い流れを絶ち、予選突破につなげたい」というのが、中央アジアに遠征中のチームに同行する協会幹部の判断だった。
森島、城が先制点を奪ったかと思いきや。
必死なのは日本だけではなかった。過去4試合で勝点1しかあげていないウズベキスタンも、崖っぷちに追い詰められていた。10月11日の最終予選第5戦は、どちらにとっても負けられない一戦となったのである。
最初に決定機をつかんだのは日本だった。キックオフ直後の4分、トップ下の森島寛晃がGKと1対1になるが、失敗。直後、ウズベキスタンのミドルシュートが日本ゴールのバーを叩く。
22分、ゴール前のこぼれ球をFW城彰二がプッシュするが、オフサイドで取り消される。3分後、DFラインの背後を突かれるものの、GK川口能活が1対1をストップする。