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震災から7年、風化との戦い。
楽天と嶋基宏が背負い続けるもの。 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKyodo News

posted2018/03/16 10:30

震災から7年、風化との戦い。楽天と嶋基宏が背負い続けるもの。<Number Web> photograph by Kyodo News

2011年の本拠地開幕戦後、黙祷する楽天の選手たち。チームはキャンプ後も仙台に帰れず、選手やスタッフは家族の安否を憂慮した。

南三陸に向かった嶋が出会った人々。

 当時の楽天がようやく仙台に帰れたのは、このチャリティー試合よりさらに後の4月7日。選手たちの強い要望もあり、1泊2日の強行軍ながら実現した。被災地を目の当たりにしたのもこのときが初めてだ。

「ほとんどの選手が仙台に家族を残していましたから、何とか奥さんやお子さんの顔を見させてあげたかった。もちろん、それだけではなく各グループに分かれて被災地を訪れたんです」

 嶋は南三陸方面に向かった。

「Jリーグのベガルタ仙台やバスケットチームがすでに訪れており、遅いと言われることも覚悟していたんですが、皆さんが口々に『待ってたよ』と。あれでさらに頑張らなきゃなって思えたんですよ」

 名取市方面に向かった山崎武司は、バスから手を振るだけではダメだと、途中下車を提案した。目的地では市長が待っているからと、あきらめるよう説得するスタッフには「市長さんには待っていてもらえばいい」と譲らなかった。

 こうしてチームと地域に根付いた「東北魂」が2年後の日本一へとつながっていくわけだが、7年の歳月が人々の記憶を少しずつ削っているのも事実だ。

「もう7年か。あっという間に……」

 たとえば2011年のプロ野球界は、オープン戦が計35試合も中止になった。開幕は2週間遅れの4月12日。楽天は仙台でやるはずだった主催試合を甲子園で行なったし、4月中は節電のためにナイターが自粛された。関東地方では平日もデーゲームが行われたのだ。球宴もデーゲーム。巨人のブライアン・バニスターは原発への不安がぬぐい去れず、無断帰国した……。

 2011年に何が起こったかは誰もが覚えているが、その詳細はどうだろう。それが風化というものなのかもしれない。

「正直、仙台の中心部にいれば震災があったことを忘れそうになります。でも空港の近くやオフに訪れる被災地はまだまだなんですけどね。僕自身、最初の1、2年、特にあの1年はものすごく長く感じましたが、もう7年か。あっという間にすぎてしまったなとも思います。少しずつ皆さんの頭の中から忘れられているなとも思うので、もう1回楽天が東北にある意味を考えて、盛り上げていければと考えています」

【次ページ】 福島出身・西巻賢二が覚えていること。

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