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震災から7年、風化との戦い。
楽天と嶋基宏が背負い続けるもの。
posted2018/03/16 10:30
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
楽天が背負い続けるもの。
7年後の「3・11」は岡山県倉敷市で迎えた。寒い仙台を本拠地とする楽天にとって、3月半ばはまだ2月のキャンプから続く旅の途中である。7年前は兵庫県明石市でオープン戦を戦っていた。関西地方でも揺れは感じたが、ほどなく自分たちの住む街が大きな被害を受けているという情報が伝わる。試合は打ち切り。球団の指示で、選手は懸命に家族への連絡を試みた。
「僕は妻が実家のある東京にいたので、たまたま大丈夫だったんですが、他の選手やスタッフの方は本当に大変で……」
嶋基宏が東日本大震災当日を振り返る。ここが楽天と若き選手会長の長い戦いの始まりでもあった。
「見せましょう、野球の底力を」
このフレーズが被災者の、そして国民の心をとらえ、嶋は一躍その名を知られるようになった。ただ、よく間違われるが、当時は楽天の選手会長ではあっても、労組・日本プロ野球選手会の会長ではない(当時は新井貴浩会長)。就任するのは翌2012年12月のことだ。
「見せます」ではなく「見せましょう」。
だが、4月2日に復興支援を目的として6球場に分散して実施されたチャリティー試合の中で、被災地をホームグラウンドとする楽天(札幌ドームで日本ハムと対戦)が最も注目されたのは当然のことだった。日本野球機構(NPB)からは模範となるスピーチを書いた紙を手渡されたが、嶋は棒読みはしなかった。こだわったのは自分の立ち位置だった。
「底力という言葉は、元から入っていたんです。変えたのはニュアンスというか、一緒に戦っていきたいという思いを伝えたかったからなんです。球団広報と話し合って、いいところはそのまま残して、手を加えたのがあのスピーチです」
嶋の説明を補うと「見せます」ではなく「見せましょう」とすることで、被災地の球団としての一体感を訴えたかった。これにより底力という印象的な単語の強さが、より引き立てられたのだ。