ファイターズ広報、記す。BACK NUMBER
球団広報という白も黒もない仕事。
清宮の機知が背中を押してくれた。
posted2018/03/09 11:00
text by
高山通史Michifumi Takayama
photograph by
Kyodo News
私の仕事は、ベースボールの本場アメリカでは「PR」で通じる。入団してきた新外国人選手へ初めて挨拶をする時には、英語に疎いことをさらけ出しながら「ナイス トゥー ミート ユー。アイム ピーアール」と自己紹介をする。
たった2つのアルファベットを棒読みするだけで、従事する業務を理解してもらえる。この部分だけを切り取ると、分かりやすそうな仕事だ。この「PR」とは「Public Relations」の略である。ましてやプロ野球界は、近そうで、遠く感じる世界だと思う。
北海道日本ハムファイターズの球団広報が生業である。
どんな職業なのか、極めて説明が難しい。時に過酷でもある。時に苦しくもある。時に悲しみ、むなしかったりもする。ネガティブ三昧に形容もできるが、それ以上に楽しく、やりがいもある。
広報は勝ち負けがつかないグレーな仕事。
弊球団は、もちろん親会社である日本ハム本社のサポートなしでは成立しない。それを排除して考えれば、球団運営の源泉は「チーム」と、チケットやグッズ販売などで収益を生み出す「事業」に二分される。
そのいずれにも属さないのが、球団の広報である。「チーム」は優勝などの結果、「事業」は利益など有形な価値を生み出す。だが個人の考えであると断っておくが、私には業績の優劣の指針がない。無形である。勝ち負けが明確な評価基準の世界の片隅に身を置きながらも「白黒」が明確ではない「グレー」な役割が、課せられた使命なのだ。私は、それが球団広報であると思う。
この原稿が初回ということなので「日記」ではなく、年明けからの「グレー」な職務を紹介したい。
2018年は、激しくスタートした。
1月5日。札幌ドームの敷地内にあるオフィスで仕事始めをした。年末年始に未処理だった取材依頼のメールなどに返信して対応。デスクワークに終始すると、その翌日に上京した。
1月7日からの主戦場は、千葉県鎌ケ谷市。都内のビジネスホテルから、ファーム施設のある「ファイターズ鎌ケ谷スタジアム」(通称:鎌スタ)を仕事の拠点にする日々が始まったのだ。