ファイターズ広報、記す。BACK NUMBER

球団広報という白も黒もない仕事。
清宮の機知が背中を押してくれた。 

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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photograph byKyodo News

posted2018/03/09 11:00

球団広報という白も黒もない仕事。清宮の機知が背中を押してくれた。<Number Web> photograph by Kyodo News

清宮幸太郎のようなスター選手が入団すると球団広報の仕事は激増し、嬉しい悲鳴をあげることになる。

選手には似合うウェアもおじさん広報には……。

 札幌ドームでの通常の出勤時はネクタイを締めてスーツが主だ。来賓等に、いかようにも対応できるような狙いがある。ただキャンプ期間中は選手と同じチームウェアにベージュのチノパン、スニーカーが球団広報の「ユニホーム」である。

 今シーズン、ファイターズは「オークリー社」と初めてウェアを年間契約した。抜群のフィット感は、選手たちからは絶賛の嵐ではある。ただアスリートには強烈に似合うが、ぽっちゃり、むっちり体形で鳴らす42歳の「おじさん広報」には試練である。

 1年間、ほぼ接する記者たちが、見慣れないアクティブな装いの小職を見る視線も、戸惑いを隠せない「グレー」である。好奇の目から解放されると、球春は近いと実感する。

スポーツ紙の番記者から広報に転身。

 ベテランの球団広報のようにここまで記したが、転職2年目の春である。日刊スポーツ新聞社のファイターズ担当記者、いわゆる番記者を、北海道に球団が誕生する前年2003年秋に拝命。そこから2016年の10年ぶり日本一まで務め、ペンをおいた。

 2017年から現職。広報として、メディアに対応する。客観視していた選手と、同じ空間で過ごす。身近ではあったが、まるで鏡写しの真逆の世界へと足を踏み入れた感覚は、今もある。

 この年齢まで、野球に携われる幸せを感じながら今を生きている。恥ずかしながら、幼少時からプロ野球選手を目指していた。高校では運良く、ハイレベルなチームメートに恵まれて3年生の最後の夏に甲子園へ出場した。

 あこがれの聖地で、なぜか野球人生で1本だけの柵越えホームランを記録してしまった。少年野球時代に野原のような外野フェンスがないグラウンドでランニングホームランの経験はあるが、スタンドインは練習試合を通じても1本だけ。甲子園のみである。周囲から人生のピークと揶揄され、そんな声に抗おうとこれまで過ごしてきた。

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