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メダルを逃したことで気づけた真実。
竹内智香「オリンピックの価値って」
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph byNaoya Sanuki/JMPA
posted2018/03/03 08:00
日本人離れしたスポーツ観を持つ竹内智香。フェアにフラットに、彼女は次の戦いをもう始めている。
絶不調の時期があることは覚悟していた。
「長くレースをやっていると、一度絶不調になった選手は1年や2年、ひどい場合は5年とかまったく状態が戻らない人も見てきました。だからいつか私にもそういう時が来るとはある程度覚悟していた。
私もレース前に、『みんな、不安がって観ないでくださいね』と話したじゃないですか。でもきっと、今回は予選通過すらできないのでは? と思って観ていた人もいたはず。だから、まずはこの短い期間で本来の自分に近いところまで戻ってこれたなと、レースが終わった直後に思いました」
危なげない滑りで予選を通過し、トーナメント方式に入りベスト16でも勝利。しかし、ここで壁が立ちはだかった。
ソチから変わったルールが逆風に。
平昌五輪では、それぞれ1度の滑走で勝負する「シングルフォーマット」が採用された。竹内が銀メダルを取った前回のソチ五輪は2度の滑走で勝敗を決めたが、昨年の10月に今回の規定となった。
若手など、一か八かで大胆勝負をしかける選手にはわかりやすいルール。ただ、実力者であればあるほど、「リラン(Re-run)」と呼ばれる2本目では、1本目から修正してより良いタイムを出すことができる。竹内ら何人かの選手は「リラン」を希望していたが、結局多数決で今規定に決まった。
平昌のレースでは、赤と青、2つのコースの優劣が顕著に出ていた。竹内が敗れた準々決勝のレース以前の戦績は、赤コースを滑った選手が17勝で、青コースの選手が2勝。青コースは途中、緩斜面に入っていくルートの雪が酷く荒れていて、そこでスピードが出ずに敗れる選手が続出していたのだった。
直前のレースでタイムが良かった選手がコースを選択できるルールで、竹内は準々決勝は青コースに回ってしまった。もちろんそれだけが敗れた理由ではなかったが、見ている側には悔いが残る結果だった。