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「4年後は私にはないと思うので」
スマイルジャパンを支えた2人の魂。 

text by

神津伸子

神津伸子Nobuko Kozu

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photograph bySunao Noto/JMPA

posted2018/02/22 07:00

「4年後は私にはないと思うので」スマイルジャパンを支えた2人の魂。<Number Web> photograph by Sunao Noto/JMPA

スイスの選手と激しく競り合うスマイルジャパンの足立友里恵。平昌五輪での1勝は未来を開く1勝だった。

トリノ五輪が手からこぼれ落ちた一瞬。

 バンクーバーの後に第一線を退いていた小野は、ソチ五輪での後輩たちの頑張りをテレビで観て「もう一度、あそこにチャレンジしたい」と、決意した。

 元アイスホッケー日本代表で、北海道清水町のフルタイムシステムズ御影グレッズを指導する夫と二人三脚の特訓が始まった。

 同チームで、小野はプレーしながら若手を教えていた。チーム練習ではとても足りないので、朝練、ウェイトトレーニング、シュート練習などを積み重ね、'15年に代表復帰を果たした。

 小野にも忘れられない経験があった。

 トリノ五輪出場をかけた最終予選、最終試合の対ロシア戦。引き分けでもオリンピックに出場できる。第3ピリオドの1点を追いかける局面で、DFからゴール前にいた小野に向けて出された見事なパス。スティックを合わせれば必ず決まる。そう思って放ったシュートは、わずか数センチだけネットから外れていった。

 そのスローモーションのようなシーンを、今でも思い出す。

候補合宿でも、逆境は続いた。

 しかし、小野が「本当に一番辛かった」のは、実は昨年だった。

 冬に平昌五輪の世界最終予選があり、オリンピック出場を決めた。そして春からは、メンバーを決める代表候補合宿が始まった。

 しかし自分の調子が上がって来ない。焦って気持ちが空回りする。練習の成果がプレーに結びつかない。気持ちが沈む。そんな繰り返しで、チームのメンタルコーチの山家正尚に相談したこともしばしば。

 だからこそ「代表決定の連絡を貰った時は、心から嬉しかったです。夫も、本当に良かったねと、一緒に喜んでくれました」と話す。

 五輪への道のりはあまりに長かった。その分重みも良くわかっている。だから、彼女はチーム内はもちろん、代表から外れた後輩にも気遣いを忘れない。後輩の負担にならないように誕生日にかこつけて、連絡を入れたりしている。

 そんな小野の苦しみを多くの人間が知っている。だからこそ、彼女が五輪直前の壮行試合で足を痛めれは冷や汗をかき、平昌五輪の韓国・北朝鮮合同チーム戦で記念すべきゴールを決めれば感激の涙を流した。

【次ページ】 同じメンバーで戦うことはもうない。

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