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「4年後は私にはないと思うので」
スマイルジャパンを支えた2人の魂。
text by
神津伸子Nobuko Kozu
photograph bySunao Noto/JMPA
posted2018/02/22 07:00
スイスの選手と激しく競り合うスマイルジャパンの足立友里恵。平昌五輪での1勝は未来を開く1勝だった。
平昌のチームは今まででベスト。
小さくても天性のセンスで2003年、高校2年生で日本代表強化選手に、'07年には日本代表に選ばれた。早稲田大学に入学して上京、SEIBUプリンセスラビッツに移籍した。バンクーバー五輪最終予選の最終戦、中国に敗れてオリンピックへの道が断たれた。
「本当に悔しくて、あの時のことがここまでのバネになっています」
多くの仲間がアイスホッケーから離れていく中、両親の励ましで競技に踏み留まった。初出場を果たしたソチでは、全敗を喫している。
そんな苦しい時期を越えて来たからこそ、もう1つの自分の役割も心得ている。
まだ経験の浅い若い選手たちに積極的に声掛けをしたり、練習中、試合中にしっかりと声を出していくこと。
「ソチのチームも仲良かったのですが、今回の方がより意見が言い合える。今までのベストチームだと思います」
ベテランとして、しっかり皆を鼓舞する。
ソチ五輪から、最も大きく私生活が変わった選手でもある。
オリンピックの翌春に結婚し、日中は勤務先のプリンスホテルで正社員として働き、仕事後にチーム練習が午後9時ほどから始まる。さらに月に1度は苫小牧で日本代表合宿がある。そこに家事まで加わった。
だが、夫は深夜に帰宅する妻に温かいシチューを作って出迎えるなど、とても協力的だ。家事はあえて分担せず、気が付いた方が気が付いたことをやる。いつも「頑張っておいで!」と、励ましてもくれる。
今でも「二本柳!」と声援が飛ぶ小野粧子。
違う意味で、大きく生活が変わった選手が、もう1人いる。
チーム最年長36歳の小野粧子だ。小野も158cmと小柄で主婦、そして同じ立命館慶祥高校出身と、足立と共通点が多い。
彼女がソルトレイク、トリノ、バンクーバー世界最終予選の時、二本柳という名前で出場していたことは、スマイルジャパンのオールドファンのみぞ知ることだ。今でも「行け二本柳!」と、声援が送られる。