リーガ・エスパニョーラ最前線BACK NUMBER
降格危機デポルがセードルフを招聘。
本人は準備万端、ファンは不安視。
posted2018/02/16 08:00
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
photograph by
Getty Images
セードルフがデポルティーボの新監督となった。
かつての世界的MFとかつてのリーガの華。意外ではあるけれど面白い組み合わせだ。
近年リーガを追うようになった人は驚くかもしれないが、'90年代から今世紀の初めにかけて、デポルは強さと夢を兼ね備えた特別なチームだった。
語り継がれる試合は幾つもある。
たとえば'92年10月のリーガのレアル・マドリー戦。前年17位のチームが観客と一体となって成し遂げた逆転勝利は「スーペルデポル」(スーパーデポル)という呼称を生み、リアソールスタジアムはマドリーにとって鬼門となった(以後'10年1月まで一度も勝てなかった)。
'02年の国王杯決勝戦も衝撃的で痛快だ。クラブ創設100周年を“銀河系選抜”による優勝で祝うべく、中立地ではなくサンティアゴ・ベルナベウ開催に持ち込んだマドリーに、デポルは冷や水を浴びせたのだ。
そして欧州サッカー史に残る'03-'04シーズンのCL準々決勝、ミラン戦第2レグ。4-1で敗れた第1レグ後の絶望を地元での4-0で吹き飛ばしたデポルは、スペインの他クラブのファンまでをも狂気させた。
セードルフは'96年夏から'99年12月までマドリーで、その後'02年夏から'10年間ミランでプレイしたので、当時のデポルの勢いは身をもって知っている。スーペルデポル復活を夢見る役員会は、決断を下すにあたって、その点も考慮したのかもしれない。
サポーターの73%が不満。
もっとも、サポーターはこの人選に懐疑的だ。地元紙『ラ・ボス・デ・ガリシア』がウェブ上で行ったアンケートでは、投票した8100人余りの73%が不満を示している。
理由として考えられるのは、まず実績と経験の少なさだろう。
'14年1月ブラジルのボタフォゴで現役を引退したセードルフの監督歴は、直後に引き受けたミランでの22試合と、'16年7月から率いた中国2部の深センFCでの13試合だけ。
スペインのサッカー誌パネンカのインタビューによると、「いつか監督になりたい」という気持ちが選手としての成長に役立つと信じていたセードルフは、どのチームでも監督の仕事に注意を払い、1年半続いたボタフォゴ時代は選手兼アシスタントコーチとしてテクニカルスタッフとともに対戦相手を分析していたという。本人としては「準備万端」なのだろうが、降格圏内であえぐチームを託すには確かに心もとない。