酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
MLBが気にする「投手酷使指数」とは。
投手の肩という資産の有効運用を。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byGetty Images
posted2018/02/03 11:30
バーランダーなどメジャーの投手も球数は投げるが、1回の登板での球数は日本よりも確かに少ない。
プロ以上に懸念されている、高校野球の投げすぎ。
そしてMLB関係者がプロ野球以上に懸念を示しているのは、高校野球の登板過多だ。日本ではプロよりも高校野球の方が球数が多いのだ。
例えば、ハンカチ王子こと斎藤佑樹は2006年夏の甲子園、駒大苫小牧との決勝戦で178球を投げた。引き分け再試合に終わって翌日は118球。PAPは2日間で48万にもなっている。
彼がプロ入り後、期待を裏切り続けていることと、甲子園での酷使が無関係だと断言することはできないのではないか。
江夏豊はPAP405万でも故障しなかった。
では、日本ではなぜ球数制限が浸透しないのか?
いろいろな原因があると思うが、遥かな昔から、日本には何百球を投げても全く故障せず、投げまくった投手がいたのが大きいと思う。
1つだけ例を挙げよう。
今からちょうど半世紀前の1968年、阪神の江夏豊はシーズン401奪三振のNPB記録を作った。この時のデータはこうなる。
49登板37先発329回 5089球 PAP405万4196
PAPは405万である。5月20日、川崎球場の大洋戦では延長12回を完投しているが、この時の球数は213球。PAPはこの日だけで144万に達した。
金田正一、稲尾和久、杉浦忠、江夏豊など日本プロ野球史に残る大投手は、何百万というPAPをものともせず、大記録を作ってきたのだ。
なぜそんなことができたのか? 日本とアメリカの投手は違うのか?
そういうことではないだろう。
投手の能力は個人差が大きい。PAPが何百万になろうとも故障しない投手が、常に少数ながら存在するということではないか。
事実、金田、稲尾、江夏らが活躍した昭和中期には、短期間、活躍をして消えていった投手はたくさんいる。
昨年も78歳でWBC投手コーチとして侍ジャパンのユニフォームを着た権藤博は、1961年中日で429.1回を投げ35勝19敗、「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤」と言われる酷使に耐えた。
2年目も30勝17敗だったが、3年目10勝、4年目6勝、現役最終年に1勝。投手としては5年しか持たなかった。
権藤よりもはるかに早く消えていった投手はたくさんいる。
日本ではたまたま怪我をしなかった投手の成功事例だけが喧伝されて、球数制限が定着していないのではないか。