サムライブルーの原材料BACK NUMBER
齋藤学の思いを聞き続けた1年間。
マリノスファーストだった男の決断。
posted2018/01/25 11:30
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE PHOTO
川崎フロンターレの新体制発表が行なわれる2日前だった。
齋藤学は横浜F・マリノスから移籍に踏み切った苦渋の決断をSNSに記した。この1週間前に、両クラブから齋藤のコメントは発表されていた。しかしファン、サポーターの反発は大きく、もう一度自分の思いを伝えるべきだと感じたのであろう。異例とも言える2度目の発信。そこには、こうつづってあった。
≪僕はマリノスが大好きです。だって、自分の全てが、詰まった、8歳から過ごしてきたクラブですよ。『屑、死ね、裏切り者、怪我治るな』など何を言われてもしょうがない。そう思っていましたが、ひとつだけ言わせてもらいたい。今までマリノスの選手として闘ってきたこと これだけは否定されたくない≫
文字から聞こえる悲痛な叫びが、筆者の耳にこだました。
1年契約は、何のためだったのか。
1年前、マリノスは揺れていた。
「シティ・フットボール・グループ」がフロント業務に全面的にかかわるようになり、欧州の常識を持ち込む急進的な変革はひずみを生んだ。小林祐三、榎本哲也、兵藤慎剛ら30代の功労者がチームを去り、大黒柱の中村俊輔まで移籍の道を選んだ。長年在籍した現場スタッフもチームを離れた。リーグ戦全試合フルタイム出場した中澤佑二が50%減の年俸を提示されたことも大きな波紋を呼んだ。
一方、海外移籍を目指していた齋藤には正式オファーが舞い込まず、2月上旬にクラブと契約を更新した。契約期間は単年だった。
海外に行きやすい状況をつくるため? そう問うと、あのとき彼が“この人、分かっていないなあ”という顔で首を横に振ったことを覚えている。
「今年、俊さんだけじゃなくて、今までマリノスにいた人が移籍したわけじゃないですか。マリノスがこれからどうなっていくのか、僕だって分からない。だから複数年じゃなく、まずは今年1年、マリノスのためにやれることを全部やったうえで次のことを考えたいって思ったんです」
敢えて10番を背負うことを希望し、キャプテンをエリク・モンバエルツ監督から任された。齋藤は言葉をつないだ。
「契約の際に利重さん(当時チーム統括本部長)から“一緒に戦っていこう”と言われて、僕も覚悟を持ってやらなきゃいけない、と。これまでも自分がチームを引っ張っていく気持ちでやっていましたけど、10番とキャプテンでその責任から逃げられない立場になりました」