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内田篤人に帰国を決断させた“流れ”。
「動けるうちに好きな鹿島へ帰る」
posted2018/01/25 07:00
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph by
Getty Images
「もともと、僕は絶対に海外でプレーしたいとか、そういうタイプの選手じゃなかった。でも、周りの信頼する人たちがみんな『行ったほうがいい』というから、じゃあ『一度行ってみるか』という感じでドイツへ行った。
そのときから“鹿島へは帰ろう”と思っていた。30歳で迎えるシャルケとの契約満了(2018年夏)での帰国を考えていたから、それが半年早くなっただけのこと。だから鹿島へ戻ってこられたのは、本当にうれしい」
1月5日、取材の席で会った内田篤人の笑顔に曇りはなかった。
「ドイツで、ひとつのクラブにずっと長くいるつもりもなかった。でも、いいスタジアムでサッカーができることを楽しめて、2度も契約を延長してもらい、結果的には当初のイメージよりも長くヨーロッパでプレーできた。流れに身を任せた的な感じかな。そんな感じです。ふわふわっと」
マガト監督、ドラクスラーが面倒を見てくれた。
内田は、欧州でのプレーを目標にしていた選手ではなかった。移籍初年度の2010-2011シーズン、シャルケが出場するチャンピオンズリーグのことも、いまひとつ理解していなかったのは有名な話だ。
当時「みんなに『チャンピオンズリーグに出られるなんてすごいね』って言われるんだけど、そんなにすごい大会なの?」と質問されたことを覚えている。こちらが熱心に説明しても、ピンとこない様子だった。
そんな男が8カ月後に準決勝でマンチェスター・ユナイテッドと戦ったのだから、運命というのは面白い。巡り合わせの良さや周囲に恵まれたのも事実だが、これは偶然ではない。
内田は、入団当時のマガト監督や同僚だったドラクスラーといった懐かしい名前を思い出しつつ、こう話す。
「監督がよかったんじゃないかな。練習がハードすぎて、余計なことを考えられない。やるしかないという環境だったからね。そして、チームメイトには本当に恵まれたね。年下のユリアン(ドラクスラー)をはじめ、みんなが面倒を見てくれたから」