サムライブルーの原材料BACK NUMBER
齋藤学の思いを聞き続けた1年間。
マリノスファーストだった男の決断。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE PHOTO
posted2018/01/25 11:30
齋藤学がマリノスで出場した試合の数は、247にのぼる。
マリノスは、シーズン途中までACL圏内を走っていた。
全部背負う――。
その覚悟は、本物だった。
練習から厳しい雰囲気をつくり出そうとした。激しい接触プレーがあっても能動的に、率先して次のプレーをやろうとした。チームメイトがウォーミングアップでダッシュをきちんとやっていないなと感じたら「やろうよ」と要求した。練習の最初から最後まで、齋藤は厳しい目を周囲にも光らせた。選手たちに声を掛け続けた。煙たがられても、いいと思った。
新しいマリノスは沈むどころか浮上していく。
開幕戦の浦和レッズ戦に勝利し2連勝でスタート。第13節の清水エスパルス戦(5月27日)からは5連勝をマークして、ACL圏内も射程距離に入った。第24節のFC東京戦(8月26日)に1-0と勝利し、14戦負けなしで暫定ながら2位に浮上した。齋藤は、チームの確かな変化に手応えを感じ取っていた。
「ベテランの人が少なくなって、僕も上から数えたほうが早くなった。みんな(人が抜けて)危機感もあったし、最初のボール回しから緊張感持って、ちゃんとやる雰囲気をつくろう、と。マリノスに来てくれたタカ(扇原)、ケン(松原)、ヤマ(山中)たちがここでポジションを取ろうと頑張ってくれて、元いるメンバーも一緒になってそういう雰囲気をつくり出せている」
自分の得点にこだわらず、チームが勝てばいいという発想。リーグ戦初ゴールは、第26節の柏レイソル戦(9月16日)まで待たなければならなかった。
「GET WELL SOON MANABU」というメッセージ。
だが、次節のヴァンフォーレ甲府戦(同23日)でアクシデントが待っていた。接触プレーで途中交代し、右ひざ前十字じん帯断裂で全治8カ月の大ケガを負ったのだ。
齋藤が必死に取り組んできたことをメンバーも、チームスタッフも、そしてサポーターたちも十分に理解していた。だからこそ齋藤がチームを離れた9月30日のガンバ大阪戦ではスタンドに「学と一緒にW杯へ」の横断幕、背番号10のビッグフラッグが掲げられ、選手たちは試合前に「GET WELL SOON MANABU」(学、すぐによくなるよ)とメッセージ入りのユニホームを着こんだ。
「マジ、感動したんです」
齋藤が声を震わせながら語った姿を、忘れない。