サムライブルーの原材料BACK NUMBER
齋藤学の思いを聞き続けた1年間。
マリノスファーストだった男の決断。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE PHOTO
posted2018/01/25 11:30
齋藤学がマリノスで出場した試合の数は、247にのぼる。
車の中で目を腫らすまで泣いた日。
彼には手術後、リハビリをJISS(国立スポーツ科学センター)で行うプランもあったが、マリノスでやることにこだわった。野暮だと分かっていても、何故なのかを聞いてみた。
「クラブにいたほうが、外からチームを見ることで分かることもある。そのときに“こうじゃないの?”ってチームに言えるじゃないですか」
大ケガをしても“マリノスファースト”かよ。そうツッコミを入れたくなったほどだ。だがその陰では、葛藤もあった。知人に運転をしてもらった車の中で号泣したこともあった。悔しさや絶望感が急に胸をしめつけ、知人に「ごめん、1回だけ泣かせてもらう」と言って目を腫らすまで思い切り泣いた。筆者もつい最近になって知った話である。
「本当に充実したシーズンでした。でも……」
シーズンを終えたときに、ひとつ聞きたいことがあった。
背負ったものは重かったか、と。彼はあの日と同じように“この人、分かっていないなあ”という顔で首を振った。「一緒に戦ってほしい」と言ってくれた利重チーム統括本部長は2月に職を離れ、事業業務に専念する形となっていた。クラブの人事は仕方ないこととはいえ、齋藤に対するフォローが十分だったのかも気になっていたからだ。
首を振った彼はこう語った。
「そこまで背負わなくていいと言われても、そこまで背負わなきゃいけない。そこまでやらなくていいと言われても、そこまでやらなきゃいけない。チームのことをずっとずっと考えてやってきたつもりではあります。本当に充実したシーズンでした。でも……」
筆者が「でも」と言葉を反芻すると、少し沈黙した後で彼は言葉を続けた。
「プレーとしては判断基準が、どうしてもチームが先になりました。でもそれって、チームに逃げる、チームに甘えるっていうところなのかもしれないなって思うようにもなったんです」
くすぶる齋藤学がそこにはいた。チームに、逃げている、甘えている。その言葉が、筆者にはずっと引っ掛かっていた。