野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
マリーンズの広報にカジワラあり。
謎の魚、“We Are”をあやつる鬼才。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2017/12/29 07:00
ロッテに謎の魚を登場させた人という肩書きだけでも、彼がどれほど異常な存在感を持つ広報マンかが伝わるだろうか。
ロッテを取材したら、「ご興味がおありかと」と誘われ。
「'01年から4年間は阪神担当だったので、特にロッテとは接点もありませんでした。そんな時にトレードの情報を得て、マリーンズの球団幹部の方に裏取りの取材をしたんですね。これは記者の手法なんですが、本題の前に雑談をいろいろする中で『ロッテはファンも熱いし、球場も魅力的。いろいろと可能性がありますね』なんて話を熱っぽくしたようです。その日は本題をちょろっと聞いて、名刺を渡して帰ったんですよ。
それが5カ月後の11月11日に、急に球団幹部の方から電話が掛かってきた。『以前、お会いした時に梶原さんはマリーンズの事を熱く語っていらっしゃったが、ご興味がおありか……』と」
突然の電話に戸惑いながらも、梶原の答えはひとつだった。
「あの2004年は僕の中でも物凄く悔しい思いをした年でした。球界再編という大事件を目の当たりにし、おかしい、理不尽だと思う事が物凄くたくさんありました。こうすればもっと良くなると思っても、新聞記者は記事を書いて伝えることしかできない。それが、もどかしくて、自分の力のなさを感じていたんです。
同時に物事を変えるならば、中に入って動かさなければダメだとも。そんな時に本当に球団からオファーが来た。神懸かり的な奇跡ですよ。だから僕はお受けした時に言ったんです。『マリーンズを12球団イチ魅力のある球団にします』って」
1年目から日本一、WBCの広報にもなり世界一。
梶原がロッテに入団した1年目の2005年。神懸かりは続いていた。プレーオフでの激闘から日本シリーズで阪神を4タテしての31年ぶりの日本一。
シーズンを通じて殺到する取材依頼に、梶原は出来る限り応えた。
里崎智也、渡辺俊介、今江敏晃、西岡剛……。若い選手を全国区の選手にするため寸暇を惜しんであらゆる媒体に売り込むと、マリーンズはアジアシリーズをも制し大フィーバーを起こす。
続く2006年の春には第1回WBCにロッテから大量8選手が選出されたため、梶原もWBCの広報に選出されたと思ったら世界一。いきなり絶頂期を迎えてしまった。
「そうなんです。いきなり努力もしないですべてが上手くいってしまったので、その後が苦しかったですよね。何をしても2005年の秋~'06年の春までの盛り上がりを超えることができない。“31年ぶり”という最強のストーリーを失った状態で、そこからもう一度どうやってストーリーを作っていくか。試行錯誤でした。
ただ、マリーンズは組織が比較的小さいこともあり、他球団にはない瞬発力がある。他球団なら数日かかる案件も、ウチなら1日、下手すれば1時間でその企画を動かせたんです。
そういう土壌があったから、実験的な新しい企画もどんどん進めることができた。逆を言えばマリーンズは発信力が劣るので、新しいことをやるアイデアと小回りを武器に補ってきたとも言えます。発信力のある大球団に同じことをされたら僕らはひとたまりもないですからね。
試合後にヒーローが外野に挨拶に行くことも、ボールを投げてハイタッチで帰ってくることも今では他球団も当たり前のようにやっています。どんどん迫られている恐怖があるので、迫られたら僕らはまた1個次へと行かなければならない。同じ動画を撮るにしても、他球団よりもっと近くに、詳細に。我々はどんどん先へ先へと行かないと生き残れませんからね」