野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
マリーンズの広報にカジワラあり。
謎の魚、“We Are”をあやつる鬼才。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2017/12/29 07:00
ロッテに謎の魚を登場させた人という肩書きだけでも、彼がどれほど異常な存在感を持つ広報マンかが伝わるだろうか。
負けている時に明るい空気を作るのが広報の仕事。
54勝87敗2分。勝率は3割8分3厘。今年の千葉ロッテマリーンズは苦しい戦いの連続だった。
どうにかして世間の目を集めたい。敗北のどん底の中でもがく選手たちを勇気づけたい。伊東監督に笑顔になってもらいたい。梶原は謎のサカナを第2形態に変態させながら、そんな苦悩を常に携えていた。
「これだけ負けたシーズンは僕も初めての経験でした。4月からずっと調子が悪いまんまという状態でしたから……難しかったですね。難しいですけど、やっぱり広報って、苦しいときにどういう風に明るい話題、希望のある話を伝えられるのかというのが腕の見せ所。
それは、僕がマリーンズの広報になった1年目、日本一になった時に言った言葉でもあるんです。“優勝した時に盛り上げることは、誰でもできる。最下位になった時こそ本当の真価が問われる”ってね。
まぁ、そんなカッコいいことを言いながら、実際に最下位になると何もできなかった。それが悔しい。『今年はしょうがない』、『よくやった』と皆さんが慰めてくれるほど悔しくなります。マリーンズは12球団でも最も魅力のあるチームなんですから」
大阪で育ち、関西スポーツ紙記者だった梶原がなぜ?
“ロッテは12球団イチ魅力のあるチーム”。
それは2005年にロッテに入団した梶原がこの13年間、ずっと言い続けてきたことである。
元々は大阪で育ち、関西のスポーツ紙でオリックス・阪神を担当してきた梶原にとって千葉ロッテは縁の遠いチーム。それでも梶原はこのチームが気にかかっていた。
「僕がオリックスの担当記者をやっていた'99年'00年頃。ちょうど山本功児監督のあたりですね。僕はロッテ戦が一番の楽しみでした。
熱いファンがいて、マリンに行けば何かあるんじゃないかと思えるようなワクワクがあったんです。ファンとの一体感はロッテが一番ありましたよ。だって、ヒットを打った選手がファンに手を上げて応えるチームなんて他にないですよ。愛だなぁと思うんです。ただ、当時は僕がロッテに入るなんて思いもしませんでしたけどね」
2004年、急転直下で転機は訪れる。6月に発覚した近鉄とオリックスの合併発表に端を発する球界再編問題。これにより「今のままではダメになる」と、危機感を募らせたパ・リーグ各球団は、それぞれに独自の改革を行うことになる。
千葉ロッテマリーンズは改革のひとつに広報体制の見直しを掲げた。効率よく外に情報を発信するにはメディアを知る人間、即ちマスコミ出身の人材を求めた。
白羽の矢が立ったのが、その年の6月に立川隆史(ロッテ)-平下晃司(阪神)のトレードをスクープしようとロッテサイドへの取材を開始していたサンスポの阪神番記者・梶原紀章だった。