“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
流経柏・本田裕一郎監督の40年史。
市船との競争に燃え続けた名将。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/12/03 09:00
70代を迎えてもなお精力的な本田監督。その情熱が、流通経済大柏を全国屈指の強豪に仕立て上げた。
布が率いる市船には、誰よりも負けたくない。
就任4年目、7年ぶりとなる高校選手権出場に導く。この時期から千葉は“市船、習志野2強時代”に突入した。
「布が率いる市船には絶対に負けたくない。その気持ちは誰よりも強かったと思う。布も布で、相当な情熱を持ってチームを強くしている。私が彼と同じことをしたら絶対に勝てないと思った。なので、当時できだした“街クラブ”出身ののテクニカルな選手を積極的に集めて、いろんな経験をさせてベースを作ったんです」
また本田は当時珍しかったアルゼンチンやウルグアイなどへの海外遠征を積極的に行い、選手を次々と育て上げた。
習志野での15年間では、インターハイ優勝1回、高校選手権ベスト4を1回へと同校を導いている。
輩出した人材も豪華だ。福田健二や玉田圭司、本間勲、栗澤僚一ら多くのJリーガーだけでなく、四方田修平(札幌監督)、仲村浩二(尚志高監督)、大塚真司(大宮U-18監督)、藤島崇之(昌平高監督)など、多くの指導者も輩出した。
しかし市船の成長曲線はそれ以上だった。高校選手権優勝3回、準優勝1回、ベスト4が2回。全国トップの実力校になっていた。
プレミア・プリンスリーグ構想は千葉から生まれた。
湧き上がる競争心の一方で、協力関係も築いていたのだという。
「布とは本当に強烈なライバル関係でした。でも、ピッチを離れるとお酒を酌み交わしながらサッカー談義にいつまでも花を咲かせる関係でもありました。刺激を受け合いながらも、今後のサッカー界のことも一緒に考えていた。当時、国見や鹿児島実業、東福岡など九州勢が台頭してきて、『このままだと関東は飲み込まれる』と危機感を共有して、『この年代を強化するリーグ戦を作ろう』という話をしたことから、今の高円宮杯プレミア・プリンスリーグの前身である『関東スーパーリーグ』構想が始まったんです。
知恵を出し合いながらも、またピッチに戻ったらバチバチに戦う。今でも忘れもしないのが、ある年のインターハイ予選決勝で、私たちが勝ったんですよ。みんなで喜んでいたときに、ハッと視線を感じてその方向を見たら、布がその場に立って私たちを睨みつけていたんです(笑)。ロッカールームに引き上げるまでずっと睨みつけていた。彼も本当に負けん気が強いやつだったね」