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田中将大の本当のライバルとは?
きわだつ“智辯和歌山”という存在。
text by
二瓶仁志(Number編集部)Hitoshi Nihei
photograph byHideki Sugiyama
posted2017/08/09 07:00
2006年の駒大苫小牧は、1933年の中京商以来73年ぶり、史上2校目の夏3連覇をかけて甲子園に挑んでいた。
魔曲「ジョックロック」と「魔物は二度笑った」。
駒大苫小牧と対戦する直前の準々決勝、智辯和歌山対帝京の試合は、今も語り草となっている名勝負だ。
9回表で8対4。4点ビハインドを追う帝京は2死一・二塁という絶体絶命の状況から6連打で8得点を挙げ、8対12と逆転する。その裏、連続四球でチャンスを広げた智辯和歌山は、4番橋本の3ランホームランで1点差に迫る。智辯和歌山の打線は止まらず、最後は主将の古宮克人が四球を選んで押し出しサヨナラ。13対12で勝負が決まった。
智辯和歌山の攻撃中は常に“魔曲”「ジョックロック」が鳴り響き、試合後には「魔物は二度笑った」と報道された。
智辯和歌山打線の恐ろしさを、全国が痛感した試合だった。
試合中、奇跡の最終回、攻撃の前に高嶋仁監督はこう檄を飛ばしていたという。
「おまえら、何しにきたんや! 帝京に負けたら、田中とでけへんやないかい! 逆転してこい!」
帝京に敗れそうな状況でありながら、名前を出してしまうほど田中への思い入れは強かった。
きっかけはちょうどその1年前にさかのぼる。
2年生ながら、150kmの豪速球を投げていた田中。
'05年、夏の甲子園決勝。駒大苫小牧対京都外大西、最終回のマウンド上には、背番号「11」を背負う彼がいた。
2年だった田中はチーム最多の投球回を投げ、実質的にはエースの働きをしていた。優勝を決める最後の1球は150km。空振り三振を奪い、大きなガッツポーズをして雄叫びを上げた。150kmを記録したのは、2年として大会史上初だった。
その瞬間、スタンドには智辯和歌山の2年生メンバーがいた。高嶋監督が「来年はおまえらが、この舞台に立つんや」と、イメージを持たせるために連れてきたのだ。
その結果、彼らの中に田中将大という存在が克明に刻まれた。