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田中将大の本当のライバルとは?
きわだつ“智辯和歌山”という存在。
text by
二瓶仁志(Number編集部)Hitoshi Nihei
photograph byHideki Sugiyama
posted2017/08/09 07:00
2006年の駒大苫小牧は、1933年の中京商以来73年ぶり、史上2校目の夏3連覇をかけて甲子園に挑んでいた。
「日本で1番いいピッチャーは田中や!」
橋本「同世代で、優勝投手で、150kmですよ。彼を超えないと日本一にはなれない」
廣井「日本で1番いいピッチャーは田中や、とはっきりしました」
古宮「田中なんだと。僕らの学年で1番の田中を倒さないといけないんだと思いました」
高嶋監督は秋の神宮大会であらためて田中の投球を視察。計28回2/3を投げ47奪三振の驚異的な投球を目にする。和歌山に帰ってすぐ、部員に伝えた。
「『打倒田中』で、いくぞ」
全員がすぐに納得した。'05年秋のことだった。
それから約1年の間、彼らは150kmのストレートと140km近いスライダーを攻略するため、これまでとは全く別次元での猛練習を続けた。
「彼には僕らの世代を引っ張ってもらわないと困る」
智辯和歌山は、ひたすらに愚直だった。
スライダーを捨てる、徹底的に守りを固めるなど、ほかにも手はあったはずだ。だが、日本で1番いい投手の、1番いい球を打つ。真っ正面から敵に立ち向かうその姿勢が「史上最強打線」をさらに成長させ、3年夏の田中のベストピッチを引き出したのだった。
努力は報われなかった。
だが、今回取材に応じてくれた高嶋監督、橋本、廣井、古宮はみな、当時のことを話すと目に光が灯り、口角が上がった。
橋本は取材の最後にこう語った。
「彼には僕らの世代を引っ張ってもらわないと困る。プロ時代も含めて、将大はダントツの存在でした。メジャーで苦労することも多いと思います。でも苦しい時とか強いチームが相手のときのほうが力を出す。昔から、本当に迫力がありましたよ。それに押されて、僕らは負けたんですかね」