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名門ヨネクラジムに近づく閉鎖の時。
最後の後楽園、そして37人目の王者。
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byBOXING BEAT
posted2017/07/24 07:00
WBCスーパーフライ級で世界王者になった川島郭志と米倉健司会長。日本ボクシング界の1つの時代が終わるのだ。
ジム閉鎖で、窮地の溜田を救ったのは大橋会長だった。
ここから巻き返そうと練習を続けていた今年3月のことだった。ストレッチを終えると、トレーナーから「みんな集まってくれ」と声がかかった。
「これこれこうでジムがなくなると。会長が高齢で、会長の奥さんも体調が悪いと聞いていたので、あと5年くらいかな、なんて思っていたんですけど……。その日は力が抜けて練習をしないで帰りました」
ジムがなくなるということは、住んでいる寮もなくなるということだ。ジムの後援会に用意してもらったスーパーの仕事はどうなるのか。生活そのものが崩壊しかねない状況だったが、1日休んだだけでジムには通い続けた。
そんな溜田に試合の話が巡ってくる。8月22日、後楽園ホール。24歳未満を対象とした新設の日本ユース王座決定戦である。モヤモヤしていた気持ちにムチが入った。
「初めてのタイトルですけど、自分にとってはヨネクラ最後の試合というのが大きいです。これで負けたら、偉大な歴史を築いてきた先輩たちに顔向けできないですから」
「ヨネクライズムは継承しますよ。溜田を王者に」
期せずしてヨネクラ最後の戦士となった溜田は、8月の試合後、大橋ジムに移籍することが決まった。
「ヨネクラジム最後の遺伝子ですから、それはうちで引き受けなくちゃいけないでしょう。ヨネクライズムは継承しますよ。溜田をチャンピオンにします」(大橋会長)
傾きかけたヨネクラジムとは対照的に、大橋ジムは今をときめく世界王者の井上尚弥を筆頭に、元王者やチャンピオン予備軍がずらりと並ぶ。自ずと練習は厳しく、レベルは高い。溜田が初めて大橋ジムでスパーリングをした日、会長とトレーナーから指示されたのはジャブの反復練習だった。
「けっこういいスパーリングかなと思ったんですけど、会長とトレーナーの松本好二さん(ヨネクラ出身)に『基本がなってない』と言われてしまいました。いまは、ボクシングを習った人が最初に教わるジャブの練習を繰り返しています」
名門ジムは姿を消すが、その魂が死ぬことはない。ヨネクラ最後の遺伝子、溜田がヨネクラOBのサポートを受け“37人目”のチャンピオンを目指す。