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名門ヨネクラジムに近づく閉鎖の時。
最後の後楽園、そして37人目の王者。

posted2017/07/24 07:00

 
名門ヨネクラジムに近づく閉鎖の時。最後の後楽園、そして37人目の王者。<Number Web> photograph by BOXING BEAT

WBCスーパーフライ級で世界王者になった川島郭志と米倉健司会長。日本ボクシング界の1つの時代が終わるのだ。

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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 ボクシング界に大きな足跡を残した名門、ヨネクラボクシングジムが8月いっぱいをもって閉鎖される。米倉健司会長が1963年に創設した同ジムは、半世紀あまりの間に世界王者5人、東洋太平洋王者9人、日本王者31人を輩出した(複数の王座を獲得した選手がいるためタイトル獲得者は計36人)。

 惜しまれつつ姿を消すヨネクラジムだが、そのDNAはOBたちによって受け継がれようとしている。

 ヨネクラジムの閉鎖が発表されたのは4月下旬のこと。創設者の米倉会長が83歳と高齢で、選手の指導がままならなくなったことを理由に、54年の歴史に幕を閉じることになったのだ。

ガッツ石松、大橋、川島ら計5人の世界王者を輩出した。

 米倉会長は明治大在学中の1956年、メルボルン五輪に出場するなどアマチュアの名選手として活躍。プロでも日本、東洋王座に就き、日本で初めて世界王者となった白井義男氏に続こうと、世界タイトルに2度挑戦したが、これはかなわなかった。

 アマ、プロを通して文句なしのキャリアを残した米倉会長だが、引退後にプロモーターとして発揮した手腕は、選手時代をしのぐものだった。

 ジム創設から7年後の1970年に、早くも柴田国明をWBC世界フェザー級王者に育て上げ、ここからガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志と計5人の個性的な世界王者を生み出した。生前に8人の世界王者を輩出した協栄ジムの故金平正紀会長と並ぶ“チャンピオンメーカー”としてその地位を不動のものとした。

 その米倉会長が“150年に1人の天才”のキャッチフレーズで売り出し、1990年に世界王者となったのが大橋秀行・現大橋ボクシングジム会長である。米倉会長の薫陶を受けた大橋会長は現役引退後、ジム経営者として4人(女子を含む)の世界王者を誕生させ、2010年から2016年まで日本プロボクシング協会の会長を務めた。

【次ページ】 現役時代から大橋氏はジム経営者の帝王学を学んだ。

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