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辰吉丈一郎の教え子1号が世界戦。
京口紘人「ジョーちゃんのために」

posted2017/07/23 07:00

 
辰吉丈一郎の教え子1号が世界戦。京口紘人「ジョーちゃんのために」<Number Web> photograph by Masayuki Sugizono

ウエアの背中に刻まれた「Joe」。このアルファベット3文字が京口に与える勇気は計り知れない。

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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Masayuki Sugizono

 年季の入った黒のトレーニングウエアは、汗でぐっしょりと濡れていた。背中にあしらわれた“Joe”の文字も少しかすれている。

「10年ほど前、ボクシングジム(大阪帝拳)に入門したばかりの頃に『ジョーちゃん』からもらった。減量時期になると、毎回着ている。げん担ぎもある。一緒に戦うつもりで」

 プロデビューから1年3カ月。史上最短での世界初挑戦を控えた京口紘人(ワタナベジム)の言葉には、辰吉丈一郎への敬愛がにじむ。23日にIBF世界ミニマム級タイトルマッチ(大田区総合体育館)に臨む23歳のボクシング人生は、その辰吉の指導から始まったと言ってもいい。

 中学校入学前の12歳で大阪帝拳ジムに入門すると、1年生の頃から約2年間、「毎日のようにボクシングを教わっていた」。『浪速のジョー』の愛称で親しまれたカリスマボクサーは「俺のことをジョーちゃんと呼べ」と命じると、近い距離で熱のこもった指導をしてくれた。中学時代に元WBC世界バンタム級王者に伝授された必殺の左ボディーブローは、右構えの京口にとって今も強力な武器となっている。

最軽量級とは思えないほど強烈な一発の威力。

 京口は大阪帝拳から高卒でプロになることも考えたが、大商大の特待生としてアマ経験を積むことを選択。大学時代は2学年上の現WBC世界ライトフライ級王者の拳四朗(当時・関西大)と何度も拳を交えた。

「ずっと背中を追いかけていた存在。身近に目指している選手がいたのは良かった」

 大学は決して遠回りにはならなかった。上京して、プロとなったワタナベジムでは井上孝志トレーナーの下、徹底したフィジカルトレーニングとミット打ちで、持ち味のパンチ力を強化。「ジョーちゃん直伝」と胸を張る一発の威力は、最軽量級とは思えないほどになった。

【次ページ】 初の判定勝ちには「しょうもない試合をした」。

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