マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
甲子園のベンチ入りを25人にしたら?
「頑張り」が報われるのはいい事だ。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2017/06/20 07:00
甲子園に出場した学校が直面する「予選を戦った20人のうち、どの2人がベンチを外れるのか」という問題は残酷すぎる。
「部員100人で20人しか入れない」なんて厳しすぎる。
そして一方、「部員100人で20人しか入れないんだろ……」、そう考えて、高校野球をやりたいのに、やる前から身を退いてしまう残念な例も減ってくるのではないか。
100分の20。
子供の数が減った現代、今の子はそんな競争率など経験していない。だからビビって、撤退してしまう気持ちは、わからないでもない。
それが、100分の25になる。
5倍の競争率が4倍になっても、まだちょっと難関なのかもしれないが、部員50人なら半分はベンチ入りになる。それなら、「よーし、オレもいっちょー!」と高校野球に挑んでくる少年たちも増えてくるのではないか。
情報の中で育ってきた今の少年たち。大人が考えているよりずっと計算高いのだ。
せめて、甲子園でも予選の20人のままではどうか。
妄想は尽きることなく広がっていくが、このへんで、ちょっとその広がりを止めて、現実にひるがえってみよう。
これも、ずっと以前から不思議に思って悶々としてきたことなのだが、20人で闘って予選を勝ち上がったのに、甲子園ではなぜそれが18人に減ってしまうのか。
これまで、何人もの現場の方に伺ってきたが、誰一人としてスッと胸に落ちる説明をしてくれた方に出会ったことがない。
予選は同じユニフォームを着て、ベンチで闘ってきたヤツが、やっと出てきた甲子園では、向こうの“アルプス”で踊っている。
近くにいるとしても、“他人の顔”をしてなきゃいけないボールボーイ。
そんなことがあっていいのか。
一時、下火といわれていた甲子園人気も、今や完全に復調、復活、立ち直り、幕が開けば、連日満員満席の大盛況。
甲子園の18人が25人になったって、費用がかかるなんて言わせない。予選の20人が25人になったって、そっちまで十分まかなえるぐらいの収益はあるはずだ。
頑張ったヤツに、もっと光を当ててあげよう。
それが、アマチュアスポーツの精神であり、高校野球の理念なのではないのか。
そこまでの大改革に立ち上がれる人がいないのなら、せめて、せめて、予選の20人を甲子園でも20人のままで。
それぐらいの“小改革”なら、きっと誰も文句は言うまい。