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初参戦から28年目のダービー制覇。
藤沢和雄調教師「思った以上に……」
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byYuji Takahashi
posted2017/05/29 11:30
かつて、調教師リーディングのトップは藤沢和雄の指定席だった。昨年も勝利数は矢作芳人調教師についで2位、その力に衰えはない。
狙いを定めればクラシックだって獲れるのだ。
あくまでも「馬本位」で、レース体系にはこだわらない。かつて、日本のホースマンは、皐月賞とダービーで好走した馬が無事なら、秋は当然のように菊花賞を最大目標にしたが、長距離に適性がなければ、相手が強くなっても天皇賞・秋に向かわせたほうが馬のためになる、という考え方を示し、バブルガムフェロー(皐月賞、ダービーは不出走)、シンボリクリスエスなどで結果を出して実証した。
1995年に朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を勝ったバブルガムフェローのように早くから走った馬もいたが、同馬は例外的な存在で、2歳重賞を藤沢勢が賑わす……というシーンは考えづらかった。
それが明らかに変わったのは、2012年に札幌2歳ステークス、東京スポーツ杯2歳ステークスなどを勝ったコディーノが登場したころからだ。その4年後の2016年には、ソウルスターリングで阪神ジュベナイルフィリーズ、サトノアレスで朝日杯を制覇。ソウルスターリングは次の年、つまり今年、オークス馬となった。
競馬というのはそんなに簡単なものではないはずだが、狙いを定めればクラシックだってこうして獲ることができるのだ、というホースマンとしての意地を見せられたような気もする。
サンデーの血が入っていないことも期待の一要素。
管理馬を初めてダービーに出走させたのは1989年。10番人気のロンドンボーイで、22着に惨敗した。2002年には4頭を出走させたが、シンボリクリスエスが2着に惜敗。翌2003年は3頭を送り込み、ゼンノロブロイがまたも2着。2013年も3頭を出走させたが、コディーノの9着が最高だった。
初参戦から28年。19頭目の挑戦で、ついに「競馬の祭典」で頂点に立った。
ダービートレーナーとなって、格別な喜びがあるはずだ……と思いきや、隠しているのか、それとも、本当に特別そうした思いはないのか、いつもと変わらぬ、やわらかな笑みを浮かべたまま、静かな口調で語る。
「レイデオロは、見てのとおりの素晴らしい馬です。皐月賞は負けましたが、ダービーを勝たせてもらいました。私が気負っても仕方がないのですが、ダービー馬にふさわしい競走生活を送って、種牡馬にしたいと思っています」
確かに、「超」のつく良血でありながら、サンデーサイレンスの血が入っていないので、サンデー系の種牡馬と繁殖牝馬が飽和状態になっている今、馬産地にフレッシュで強力な血を送り込むことができる。