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3番手4番手の男が一気にスタメンへ!
板倉滉が掴んだU-20W杯での居場所。
posted2017/05/23 11:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Getty Images
板倉滉(こう)は日本サッカー界のメインストリームを歩んできた訳ではなかった。
「三好康児の陰の存在」
川崎フロンターレの下部組織では、常に脚光を浴びてきた三好の陰に隠れる存在だった。
共にトップ昇格を果たした後も、トップチームでルーキーながらJ1デビューを果たした三好に対し、板倉はカップ戦も含めてその年は1試合も出場できなかった。昨年になって待望のJ1デビューを飾ったが、リーグ戦の2試合出場に留まり、一方の三好はというとコンスタントに出番を掴み、J1でのプロ初ゴールを含む4得点を挙げ、より注目度を高めた。
U-19、U-20日本代表においても、CBとして起用される板倉は、「中山雄太(柏)と冨安健洋(福岡)、その次の存在」という位置づけであった。
内山篤監督は中山と冨安に絶大な信頼を置き、チーム立ち上げから不動のコンビとして起用し続け、板倉はいつも2人の代役として起用されることが多かった。しかも、昨年まではCBの3番手は町田浩樹(鹿島)と見なされていたこともあり、板倉は実際のところは4番手の位置づけであった。
「チームの優勝は嬉しいけど、個人的には悔しかった」
AFC U-19選手権でもメンバーに選ばれたが、彼に出番が巡ってきたのは、準々決勝を勝利してU-20W杯の出場権を掴みとった後の準決勝・ベトナム戦のみ。この試合はスタメンを大幅に入れ替えて臨み、主軸を休ませる形を取った状況で、町田と共にCBコンビを組んでスタメンフル出場した。
この試合で危なげないプレーを見せ、3-0の無失点勝利に貢献した。だが、サウジアラビアとの決勝戦では、チームが120分の死闘の末にPK戦で勝利する間、彼はピッチの外で戦況を見つめたままだった。
決勝を含め6試合中4試合にスタメン出場をし、1得点を挙げた三好と、準決勝のみのプレーとなった板倉。またしても彼は陰の存在となった。
「チームの(AFC U-19選手権)優勝は嬉しいけど、個人的には悔しかった。試合に出たいという想いを強く持っていたし、世界では絶対に試合に出られるようにしないといけないと強く思いましたね」
目の前に突きつけられた序列がある。しかし、序列はあくまでもその時点の評価であり、それはいくらでも変えることができる。そして、それはすべて自分次第であることを彼は理解していた。