セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
ミランの帝王ベルルスコーニが去る。
偏狭で、強権で、魅力的な男だった。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2017/04/18 11:30
元首相、メディア王、数々のスキャンダル、そしてミランの帝王。ベルルスコーニの評価は分かれるが、その存在の巨大さだけは誰も否定できない。
札付きのワルでも、一言で従う絶対政権。
少なくともイタリア国内のあらゆる選手やフロント、メディアにとって、ミランの“プレジデンテ(会長)”といえばベルルスコーニ以外にいなかった。
政治家として首相まで登り詰めた時期に何度か会長職から降りたことはあったが、誰が何といおうと、ミランというクラブにあって帝王はたった1人、彼だった。
帝王はグラウンドではスペクタクルと勝利を、その外ではエレガントな優雅さをもって振る舞うことを選手たちに求めた。
数年前、世代交代の始まったミランで一時期、モヒカン・ヘアが流行った。
ロッカールームから主将マルディーニやMFガットゥ-ゾといったタテ社会の規律を重んじる重鎮が去り、FWエルシャーラウィ(現ローマ)や悪童バロテッリ(現ニース)といった若手が、今風の流行りを持ち込んだ頃だ。モヒカンは若手だけでなく、チームの中核にいたDFメクセスやMFボアテンクにまで勢力を拡大していた。
メクセスといえば、試合中に相手を殴るわ首を絞めるわの暴力沙汰で、何度も長期出場停止を受けた札付きのワルである。ボアテンクも荒くれ者で名が通っている。
帝王はミラネッロ練習場を訪問し、ラッパーのような格好の彼らへ声をかけた。
「見苦しいモヒカンを切ってはどうかな」
やさしい口調に騙されてはいけない。ベルルスコーニが最初にかける言葉は必ず和やかだが、二度目はない。あるとすれば、戦力外通告だからだ。
メクセスもボアテンクも翌日にはそそり立っていたモヒカンをジェルでベターっと強引に撫でつけてきた。帝王に従わなかった若手FW2人は、その後数年もしないうちにミランからいなくなった。
ベンチで左派系の新聞を読んではいけない!?
'04-'05年シーズンに1年だけ在籍したドラソーというフランス代表MFは、ベルルスコーニ本人にではなくチームメートから信じられない理由で叱責された。
「僕がロッカールームで、フランスの(左派系新聞)『リベラシオン』を読んでいたら、コスタクルタにいきなり怒られた。『おまえ、それを今すぐ隠せ。ここをどこだと思ってるんだ?』と言われて面食らったよ。右派政党の頭であるベルルスコーニ会長の目に留まって、彼がご機嫌を損ねたらどうするんだ? ってことだったのさ」
黄金時代のミランはトップの規律が隅々まで行き届く、厳しい場所だったのだ。