話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
ユース時代、小野裕二は伝説だった。
鳥栖で突出した存在感を発揮せよ。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/04/07 11:40
欧州からJに戻ってきた小野裕二だが、挑戦が失敗に終わったわけではない。Jを驚かせるプレーが見たい。
ベルギーで必要性を痛感した「考えるスピード」。
以前は自分の特徴を最大限に出力することだけを考えていたが、鳥栖ではポジション的なこともあり、チームのためにトップ下の鎌田をうまくサポートする役割を果たそうとしている。4年前とはそういう意識の変化だけではなく、プレー面でも以前と異なる違いを小野は感じているという。
そのひとつが考えるスピードだ。
「ベルギーはフィジカルコンタクトがすごく厳しい。そこで、まずフィジカルの重要性、そしてスピードの大切さを学びました。ただ、単に走るスピードというよりも考えるスピード、頭の回転のスピードです。自分がどういう状況にいるのか。ボールがどこにあるのか。ボールにかかわりつづけることができるポジションを常に探し、素早く判断して動きます。守備もまずはしっかりと周囲がどういう状況なのかを見て、自分がそこで何をしないといけないのかを見極めます」
マリノスにいた頃はFWだったこともあり、ボールを持つと前に突進していったが、今は自分の状況を判断し、いろんな選択肢からプレーを取捨選択できるようになった。
久しぶりに話をすると、ずいぶんと落ち着いた感もあった。マリノスで2年間一緒にプレーした小林祐三も「海外で苦労した分、精神的にもだいぶ大人になった感があります」と小野の人間的な成長を感じたという。
川島、内田の姿勢に励まされ。
たしかにベルギーの4年間は辛く、厳しい日々だった。2013年1月にベルギーのスタンダールに移籍したが、7月に左膝靭帯断裂して復帰まで1年かかった。2015年シントトロイデンに移籍したが、昨年は顎を骨折して3カ月かかり、治った直後にハムストリングを痛めるなど怪我に苦しめられた。
怪我の間、小野の荒んだ心をいやしてくれたのが川島永嗣であり、内田篤人だった。川島は一時期クラブが見つからずに苦労し、内田は膝の怪我で長期間離脱していた。彼らの経験から語られる重い言葉は、怪我で塞ぎがちだった小野の心に染みたという。
「川島さんのポジティブな姿勢、内田さんの諦めない姿勢を僕は見習わなくてはならないと思いましたし、今の自分の支えにもなっています」
鳥栖に移籍してきたばかりの時、小野はそう語った。怪我の経験は小野を精神的に成長させ、仲間の存在はリスタートをした小野の大きなモチベーションになったのだ。