話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
ユース時代、小野裕二は伝説だった。
鳥栖で突出した存在感を発揮せよ。
posted2017/04/07 11:40
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
小野裕二が帰ってきた。
今シーズン、ベルギーから帰国し、サガン鳥栖に完全移籍した小野は2節の川崎フロンターレ戦で足を負傷して離脱。2試合欠場したがFC東京で復帰を果たし、右インサイドハーフとして出場した。
マリノス時代のヤンチャなプレーを覚えていただけに、4年ぶりにスタジアムで見る小野は、少しおとなしい印象を受けた。本人曰く「インサイドハーフで大事なことはボールを失わないこと。しっかりとボールをつないで、ここぞという時にパワーを出せるようにしていければいい」とのことだが、それにしてもそのパワーの出しところがほとんどなかったのだ。
伝説になっている小野のユース時代。
ユース時代、小野は伝説だった。
2009年の高円宮杯全日本ユースの決勝、ジュビロ磐田戦で小野はハットトリックと2アシストを決めて勝利に貢献。キレキレのスピードと高い技術で相手に仕掛け、こどものようにねじ伏せた。
「早熟の天才」とはサッカー界で使い古された言葉だが、それが良い意味でピタリとハマり、大迫勇也風にいうと「ハンパねぇ」選手だったのである。その能力と期待の高さから小野は18歳にしてFWながらマリノスの10番を背負うことになった。「あの時は恐いもの知らずだった」というが、その意識が小野らしさを醸成していたのだ。そうしてベルギーのスタンダールの目に止まり、20歳で海を越えた。
あれから4年が経過したが、まだ24歳。老けこむ年齢ではない。しかし、ボールを持った時の背中からはかつてのような危険な薫りが漂ってこなかった。